年末・年始の映画鑑賞
時系列ではないが、年末・年始で鑑賞した映画を3本分。
先ずは・・・
パンフレットより
ゴースト&ドライブ
超MOVIE大戦ジェネシス」
年末年始の恒例と化した「仮面ライダー」シリーズの映画版。
前作のライダーと新作のライダーがコラボするお祭り的映画。
例によって、互いに認知していない仮面ライダー同士が、共通の敵に立ち向かうと言うもの。
互いに仮面ライダーを名乗っているにも関わらず、最初は、双方が戦ってしまうのはお決まり?
もはや、仮面ライダーとは、ショッカーに改造された本郷猛から始まる、人間と生物が融合された兵器としての概念は無くなっている。
単に『ベルトで変身する者』の俗称であり、セカンドネーム的な“ドライブ”“ゴースト”などが、正式な名称な感がある。
おやっさんこと立花藤兵衛がシリーズを通して同名・同役で出演しているので、新しいライダーを彼が命名することもあり、ウルトラ兄弟のように、いつか1号や2号もゲスト出演するんだろう、と期待してたのも事実なのだ。
さて、この「ゴースト&ドライブ」
9月で放送が終了した「仮面ライダードライブ」の後日談からストーリーは始まる。
警視庁の空撮から始まるのは、テレ朝の人気番組“相棒”と一緒。制作が東映なので、これもお決まりなのか?
そして、捜査会議のシーンへ・・・
“眼魔(ガンマ)”によって引き起こされた出来事を“超常現象”と“事件”の両方から捜索するのだが・・・
「ゴースト」の主人公・タケルは、実は既に死んでいる。
歴史上の偉人達の魂が封じ込められた“眼魂(アイコン)”を集めることで、現世に蘇ることができる。
“ゴースト”=“幽霊”であることから、もっと怪奇性、神秘性を帯びた内容かと思いきや、拍子抜けするようなコミカルなキャラクター達の登場と、偉人達に対しても無責任な意識付けをしているような感が伺える。
※あくまでも個人的な意見です。
偉人の魂を召喚する形で、自分の武器とする「ゴースト」だが、敵・眼魔(ガンマ)もまた偉人の魂(眼魂)を手に入れて武器としている。
ベルトを装着し、基本形態に変身後、ベルトに“眼魂”を更に挿入することで、偉人の形を象徴するパーカーを身につけ、さらなる戦闘フォームへと転身する「ゴースト」
タケルの普段着は「ミ・アモーレ」の衣装のような、着物と洋服を半々に繋げた感じ。
が、うーん・・・少しコミカル過ぎるような気がしてならない。
・・・「ゴースト」と「ドライブ」は二人とも、父親を互いの敵に殺されてるのは、計算の上の脚本?
「ゴースト」の父親がキーポイントで、ゴースト・タケルとドライブ進ノ介が過去に飛ばされて・・・
ゴースト・タケルとドライブ・進ノ介が過去に介入したことで、時間がの流れが狂って死滅した筈のロイミュードが復活。
現時間と、過去の世界とが交錯して、やがて現代に繋がる。
初めて「仮面ライター×仮面ライダー」を劇場で観る人にとっては斬新だろうと思う。
また、前作のライダー終了後に、同窓会みたいにキャラクター達が再び集結するのも何だか懐かしさを感じる。
今回の映画で、意外な人物が新しい仮面ライダーに変身する。
また、ゴースト=幽霊ということで、霊界? における楽屋ネタも登場。
ある程度、年齢を重ねている人にとってはクスっと笑ってしまうシーンも・・・
ライダー達と怪人達の戦闘シーンには、いつも目を見張るものがある。
地面にレールを敷いて、手ぶれのないカメラワークを行っているのか、クレーンからのショットなのか、それともドレーンを使っているものか、組み合っている間を縫うように、上から下からと蛇行する画面は迫力がある。
「ドライブ」は、この映画のラストシーンをもって、テレビ版でやり残しのものが実現して完結する。
テレビを見続けて、更に映画と合わせて・・・
うーん、毎年、東映とテレ朝の策にはまってる感じがする。
そして、今年一発目に観たのが・・・
「海難1890」
これはパンフレットではない。
前売り券を買ったのが去年の11月だったのに、あれやこれやで劇場に行く時間がなくて、1月になってやっと赴いたのだが、パンフレットは売り切れ、入荷の予定はない。
仕方なく小冊子になったチラシを画像にしたもの。
ボイラーも爆発して、船は破壊。
乗組員500名以上が犠牲に!
命からがら海岸にたどり着いた乗組員達は、その漁村の人達に救助されるのだが・・・
かくも人の真心は美しいのか?
暴風雨の中、村人達は総出で海岸に集うのだ。
海に飛び込んでは乗組員を陸へ引き上げ、診療所へと運ぶ。
低体温症にならぬよう、裸になって自分の肌で温める。
自分達の食べるものも乏しいのに、それぞれが持ち合って乗組員達に分け与える。
その村では、遭難した者を全力で助ける、という暗黙のルールがあり、日本人であろうと外国人であろうと関係ないのだ。
ドラマチックに描かれ過ぎてる、と思いきや、このことはトルコの歴史の教科書に取り上げられてるくらいで、村人の行為は、あながち大袈裟なことではないのかも知れない。
この歴史は連鎖される。
1985年・昭和60年。戦争状態にあったイラクとイラン。
イランには200人以上の日本人が取り残されていた。
なんでやねん!
思わず関西弁で独り言を言ってしまった。
他の国々も、自国の人々の為にしか飛行機に乗せられない、と言う。
空港は、絶望感でいっぱいの日本人たち・・・
その時、かつて歴史の彼方で、日本に救われたトルコの人々が・・・
「奇跡体験!アンビリバボー」や「世界仰天ニュース」でも、取り上げられて、再現フィルムによって感動したものだが、映画を観ていると、よりリアルで体が震えて熱くなってしまった。
劇場ではすすり泣く声も・・・
先だって大きな地震がトルコで起きたが、その時多大な援助をしたのが、トルコの人々によって飛行機で脱出出来た日本人たちだったのだが、映画はそこまで描かれてなかった。
日本とトルコの友好が、これからも続いて欲しいし、人の心のあり方が問われる感じがした。
もっと早くに劇場へ行くべきだった。
ほとぼりが冷める頃、パンフはネットで探そう。
今は値が上がっているようだ。
そして・・・これもまた、人の心にグサっとくる物語。
「杉原千畝」
・・・今では有名になったと思われる杉原千畝さんの物語。
ユダヤ人を救った人物として他には、映画にもなったオスカー・シンドラーや、ラウル・ワレンバーグがいるが、この杉原千畝さんは、偉業を評価されてなかった。
当時の日本政府の方針に逆らったとして、外交官としての職務からも追放されたのだ。
外国から評価されて近年、ようやく日本も彼の偉業を認めたらしいのだが、自国民を救う為に飛行機を飛ばせない政府といい、果たして日本と言う国は、先進国なのかそうじゃないのか、理解に苦しむ2本の映画だった。