ジークフリートの遊ぶログ

そそっかしくて、キーボードタッチのミスに気が付かないことが多く、過去に投稿した記事も観直しながら編集しています。

「GODZILLA」

 
生誕60周年。「ゴジラ」のハリウッド版“GODZILLA”を観てきました。
 
      イメージ 1
  パンフレット・急ごしらえの撮影です。
 
仕事の都合上、今月中に観ることは出来ないだろう、と踏んで、初日の今日、仕事が終わって、夜の8時45分上映の3D・吹き替え版に滑り込んだ。
しかし前売り券は、3日前にシートチケットと交換済み。ゆっくり座って観たかったし。
 
既に、ネタばれのような感想や意見を、ネットでご覧になるかも知れないが、これから観よう、とする方の為に、エチケットとして、ネタばれのない、私個人としての感想を持って、今回の記事とさせていただきます。
 
以下、一切の余計な形容、演出内容を伏せた文章にしたつもりです・・・
 
金曜日の夜、とは言え、観客は多かったです。
 
この人が・・・“ゴジラ”映画を初めて観たのはいくつかな?
 
と、思わせる多岐に渡った年代の観客層。それぞれのゴジラに対するイメージがあるだろうけれど、共通するのは、かつての少年・少女たちが、大人になった今、ゴジラに愛に・・・いや、会いに来た感があるようで、私も『東宝チャンピオンまつり』を思い出し、胸が熱くなった。
  
タイトルは“GODZILLA
  
だけど「ゴジラ」として、映画の中に、日本(のゴジラ)が見えてくるのである。
監督が、如何に「ゴジラ」と、それを生んだ日本と言う国の文化・土壌に対して、畏敬の念を払ってくれているようで、アメリカの映画なのに、日本の映画として「ゴジラ」が本当に復活したような印象も受けた。
正に、60年間に作られた「ゴジラ」映画の集大成なのだろう。
(ALLWAYS 続・三丁目の夕日にゲスト出演したゴジラは含めない)
 
観る前に、GODZILLAに対して、過剰な期待、イメージ、先入観を持って臨めば、 この映画は鑑賞後に持つ感想は、過度に喝采を上げる出来栄えとは思わないかも知れないが、全く新しい、アメリカ人の作った“ゴジラ”だと思って、軽い気持ちで観れば、面白いかも知れない。
 
日本の「ゴジラ」映画で、自衛隊や政府の体制が分かるように、アメリカだと軍隊はどうするか、というミリタリー目線での楽しみ方もある。
 
私は、劇場で拝見した予告編以外、何ら情報も得ずに鑑賞した。同時に今までの『ゴジラ感』も払拭したつもり。そして、観ていくうちに・・・
 
「あ、そうか・・・そういう事か」
 
と、独り言を言いそうになるくらいな展開だった。
 
アメリカ人が、この映画を鑑後、やはり
 
「1954年の最初の『ゴジラ』が一番いい」
 
と、言いながらも、世界で何故にこうもヒットしたのか?
 
これは、外国での「ゴジラ」映画のイメージもあるのだろう、と推理。同時に、この映画は、初めて「ゴジラ」映画を観た時の幼い私のイメージでもあった。
CGばかりだが…一応エンタテイメントに徹していたと思う。
 
何はともあれゴジラよ・・・
 
アメリカで暴れたんだ。日本に帰って来いよ!
(広島には来るなよ!)