ジークフリートの遊ぶログ

そそっかしくて、キーボードタッチのミスに気が付かないことが多く、過去に投稿した記事も観直しながら編集しています。

「名もなく貧しく美しく」より 字幕と手話

 
前回、出来なかった、映画「名もなく貧しく美しく」より・・・手話表現についてです。
 
1961年に制作・発表された東宝映画「名もなく貧しく美しく」。制作当時も日常に使われていた差別用語ですが、舞台となった時代…昭和20年当時でしたら、身体障碍者に対する蔑視はもっと激しかったと思います。
そして当時、障碍を持たれた方にとっても、身の置き方は我々の知るところのない心情、生活を強いられたと思います。
  
 
さて、映画の中、知り合った道夫と秋子。自己紹介する中、道夫は親兄弟を空襲で失ってることを告げます・・・
 
 
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・・・道夫は『不具者』と、自らを蔑んでます。
 
字幕では『不具者』となってますが、行っている手話は『聾唖(ろうあ)』です。
耳の不自由、会話の不自由、ということで耳と口を手で塞ぐ動作です。
 
この字幕は1961年当時のものです。『不具』(ふぐ)という言葉がパソコンで漢字変換されませんでした。国語辞典には載ってますが、パソコンの辞書機能には登録されてませんでした。
忌むべき言葉ですが、日本語の文化として知っておくべき言葉でなければならないとも思います。
 
 
それに対して秋子は・・・
 
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 姉と弟から邪険な扱いをされ、母親の勧めるままに寺へ嫁入りさせられ、挙句にはバツイチになった秋子でしたが、前向きに生きていくことを進言します。
 
画像の秋子は、右手のコブシを側頭部にトントンと当ててます。
これは正に『苦労』という表現です。主に『気苦労』という、精神的に疲れる状況の時に使う手話です。身体そのものが疲れる、しんどい、などの時は、胸の前で両手で作ったコブシの右手首を、左手首にトントンとぶつける動作をします。
“骨が折れる”という意味からきています。
  
この映画に限らず、手話表現に合わせてドラマのシナリオは書かれません。
手話で表現出来る言葉は限られてます。脚本家が書いた妥協されないセリフに一番合った手話表現を当ててるので、字幕と実際の手話に大きな隔たりが生じることがあります。
手話が出てくるドラマ作りは難しいと思います。しかし、こういった作品がもっと普及して、耳の不自由な方達のことを、より理解していただきたいと思っています。
 
遊び半分の記事ではありません。でも差別用語が出てくる、としてヤフー倫理に反するでしょうか?
以前、いつもお世話になっているブロ友のKさんが、ブログの表現の限界に挑戦されたことに感化されました。
これから差別用語が出てくる記事を作成するかも知れません。せっかくコメントを下さっても強制削除されるかも知れません。その時はご容赦下さい。