ジークフリートの遊ぶログ

そそっかしくて、キーボードタッチのミスに気が付かないことが多く、過去に投稿した記事も観直しながら編集しています。

「名もなく貧しく美しく」

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昨年、女優・高峰秀子さんの命日の日に紹介させていただいたが、改めて・・・
 
※長文になりました
 
名もなく貧しく美しく』は1961年制作、東宝の作品である。
戦中・戦後にかけ、耳の不自由な女性・秋子と、同じく耳の不自由な道夫が、社会の理不尽にもまれながら生きていく物語。
 
 私は手話に取り組んでいる。もう30年以上になる。
きっかけは、小学校の時、中耳炎になり、右の耳の中に膿がたまり、ある夜、全く聴こえなくなった。
耳の穴からは、どす黒い血が流れてきた・・・
 
ドラマ「愛していると言ってくれ」で、豊川悦司さん演じる榊晃次が、聞こえないということはどういう事?
という質問に対し
「暗い海の底を歩いているようだ」
と答えている。
このセリフが出た時、彼は元々耳が聞こえていた中途失聴者だな、と思った。
私も似た感触だったからだ。
 
翌日、学校へ行く前、母親に連れられて耳鼻科に行った。
元々、耳の穴の中にデキモノが出来てしまい、通院していたのだが、そのデキモノが弾けて膿が流れた、というわけだった。
泳いでいて、耳の穴に水が入るのとは違い、濃度の高い膿が、鼓膜の振動も止めるほどに塞いでいたようだった。
 
耳鼻科の先生が、すぐさま切子(セッシ・細く長いピンセット)で膿をつまみ、膿盆(のうぼん)にベチャリと鈍い音をさせて取り出して下さった。
途端に音の世界が広がった時の感動は今も忘れない。
 
その後、TBSのドラマで「名もなく貧しく美しく」を知った。
出演は東野孝彦さん、島かおりさん。この時、初めて耳の聞こえない、という人が存在することを知った。
他人事ではない、という感覚だった。
 
喋る、という行為の代わりに、手を使った二人のコミュニケーションがとても美しかった・・・
『手話』は実に平和的なコミュニケーションツールである。とにかく向かい合って(見つめ合って)交さないと成立しない会話である。
奥さんは(母親は)台所にいて、旦那、もしくは子どもは居間にいて、テレビを観ながら、新聞を読みながら背中越しに会話するのとはわけが違うのである。
  
『手話』は耳の不自由な人の為のコミュニケーションであり、普通に聞こえている人には馴染みがない、と思っていたが、近くの公民館で『手話サークル』なるものがあることを知り入会した。18歳の時だった・・・
 
感銘を受けた「名もなく貧しく美しく」はTBSのドラマだったけれど、初視聴以来、再放送は拝見したことがない。しかし、元々の映画がある、ということを知り、そちらの方をどうしても観たくなった。
 
だが、古い映画だし、当時はビデオソフトも出てなかった。
そこで見つけたのが
 
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原作本。
昭和60年発行。
 
むさぼるように読んだ。目を潤ませた・・・
特に胸をかきむしられたのが、
 
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駅の改札を通り抜ける時、道夫は定期を出したのだが、駅員は見てない。
それを
「待て!」
と、突き刺す言葉。しかし聞こえない二人・・・
「この野郎、待てと言ったら、何故待たないんだ!」
駅員の怒号。
道夫は取り押さえられる。道夫は声にならない声で抵抗。駅員の平手打ち!秋子も駅員に取りすがって道夫に対する暴力を制する。
「貴様ら、二人ともオシか・・・」(“おし”と打っても、“唖”と漢字変換しない。禁止用語扱いなのか?)
吐き捨てるように去る駅員。
 
読んでいて胸糞が悪くなった。
サークルに入ると、多かれ少なかれ、聾唖の方のそういう体験を耳にするようになった。
  
最後に作者の松山善三さんは、こう著しておられる。
最後の六行・・・
 
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“年をとって、眼鏡がなければ、新聞も読めない。耳も遠くなった・・・”
  
私もそれに着実に近づいている。
しかも子どもの時に、一晩だが片方の耳が聞こえなくなる、という経験をしている。
健康体と、障碍(害とは表現しなくなった)紙一重を実感している。
 
手話を習い、身につける方法として、サークルで配られるテキストの他に、ウチにあるレコード、テレビ録音したアニメの歌などを片っ端から聴きながら同時通訳の練習をした。
 
アニソンやキャンディーズを始めとする歌謡曲のレコードは教科書代わりであったわけだ。
元々好きだったのに、十代の終わり頃から、アニソンにますますのめり込むようになったのはそこに理由があるのかも。
 
子どもに手話を教える際、話題作りに「スーパー戦隊」ものを始めとする特撮モノも真剣に観るようになったし、このブログで全面に押し出しているテーマは『手話』が支えているのかも知れない。
 
アニソンや特撮の主題歌をじっくり聴いていると奥深いものがある。手話で表わすと何とも言えない味わいのある詞だと感じることがある。
 
『手話』は遊びではないので、開けっぴろげに、アニメの歌などを手話表現しないが、サークルの仲間とカラオケに行った時は、字幕を見ながら皆一同に手を動かし、サークル学習の延長になったようだ、と、笑いを誘うこともある。
  
今は忙しくて、そんなサークルに顔を出せないでいるし、ここ暫くの間、講演会、啓発セミナー、選挙前の立候補者立会演説などに同時通訳として立たなくなったので、手の動きも鈍くなっている。
おかげさまで、『手話』に関わっておられるプロ友も出来ました。
今一度『手話』を振り返る意味でも、これから不定期だけど、手話で表わせる歌、手話が出てくるドラマや映画、漫画なども紹介させていただきたいと思います。
また、ドラマや映画で、字幕と、実際に行っている手話との違いについても言及させていただきたいと思います。
 
名もなく貧しく美しく」は他に日本テレビバージョンもあります。
映画も含めて、これから色々紹介してみたいと思います。