ジークフリートの遊ぶログ

そそっかしくて、キーボードタッチのミスに気が付かないことが多く、過去に投稿した記事も観直しながら編集しています。

12月28日という日

 
今日は12月28日。
もう3年も経つが、2010年の今日、女優の高峰秀子さんが亡くなられた。
享年86歳。
彼女の代表作と言うには沢山の作品があり、どれを持って代表作とするのか選ぶのに困難を極めるが、今日は、どうしてもこの作品に触れたい。
 
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松山善三さん原作・脚本、監督の映画である。
 
戦後から昭和30年代の経済成長期を舞台に、聾唖の夫婦が世間にもまれ、親族に踏みにじられながらも、助け合っていく物語。
とても綺麗な女優さんである。
 
高峰秀子さんは、秋子という中途失聴者の役を演じておられる。
夫・道夫を演じるのは小林桂樹さん。彼は先天性の聾唖者である。
 
戦後、秋子の元に聾学校から同窓会の通知が来る。
そこで道夫と出会う・・・
 
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 耳が聞こえないことで、社会から誤解、蔑視、と言った理不尽な行為を受け、
一人でなく、二人で支え合うことで乗り越えようと、秋子は言います。
 
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 新婚旅行を終え、二人の新しい生活が始まるが・・・
 
様々な苦難が待ち受けます。
 
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家を飛び出した秋子。
追いかけて来た道夫と汽車の中での会話・・・
 
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 連結器を挟んだ隣り合った車両の窓ガラス越しで手話が繰り広げられます。
 
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 弟のしでかした不始末に、秋子は道夫に対してとても重い責任を感じるのです。
しかし道夫は・・・
 
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 道夫の深い愛を、秋子は再び受け入れます。
 
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 秋子に幸せな日々が訪れるのです・・・
 
詳しい内容は伏せます。涙なくては正視出来ない作品です。
テレビドラマ化も2回されました。
 
この「名もなく貧しく美しく」は、私のライフワークになるかも知れない、というきっかけを作った作品です。
 
今は、忙しくて取り組めてないが、実は手話に関わって30年以上経つ。
講演会や、啓発セミナーなどの同時通訳で舞台のそでに立たなくなってからも10年以上経つ。
 
耳が聞こえない、とは?
名もなく貧しく美しく」との衝撃の出会い。
手話に関心を持ち、サークルに入ったこと。
 
これから、このブログで時々“手話”にも触れたいと思う。
単語や、言葉を手話で表わす方法は、既にブロ友にいらっしゃり、とても分かりやすく解説して下さっている。その方とカブっては失礼にあたるので、私には私に合った“手話”に関する紹介をしたいと思う。
手話が出てくるドラマや映画、漫画などを紹介・解説しながら、耳の不自由なことへの理解を深めていただきたいと思う。
 
ちなみに・・・
 
先述の「名もなく貧しく美しく」において、高峰秀子さんが表わした
「あなたに 何もして上げたことが ありません」
 
と字幕にあるが、この時、秋子は
自分の下顎を右手でつまんで顎先に向かってなでるように2回繰り返し、両方の掌を上にして道夫に差し出し、胸の前で右手を払う手話をしている。
 
これは“幸せ”“幸福”を表わしている。
『顎髭をなでて、至福の時を味わっているおじいさんの姿』から、“幸せ”“幸福”を意味とする手話なのである。
両の掌を差し出すのは“あげる”“与える”を表わし
右手を払うのは、我々も普段使う否定を示す“いいえ”である。
 
つまり
「(私は)あなたに幸せを あげてません」
 
という手話なのである。
 
このような、字幕にはない手話、手話は、やっているのに字幕には表れてない台詞とか、ドラマの中で見つけたものも紹介出来れば、と思います。
 
今日は高峰秀子さんを偲んでこの記事を閉じます。
また近いうちに、改めて「名もなく貧しく美しく」について詳しく触れたいと思います。