ジークフリートの遊ぶログ

そそっかしくて、キーボードタッチのミスに気が付かないことが多く、過去に投稿した記事も観直しながら編集しています。

中沢啓治作品「お好み八ちゃん」

 
昨年の12月19日に亡くなられた漫画家・中沢啓治さん。
自らの被爆体験を元に描かれた「はだしのゲン」が世界的にも有名だが、全く路線の違う作品もある。
 
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「お好み八ちゃん」
1971年に「月刊少年ジャンプ」に掲載されたものである。
 
ドジだけど、明るくて人のいい“八ちゃん”こと山田八五郎の奮闘記である。
 
自分の不注意でケガをさせてしまった女性・美恵から、障碍を持ってしまったという足をネタに、金銭をゆすられてしまう・・・
 
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それでも、美恵の為に懸命に尽くす八ちゃん・・・
近所の子供たち、お節介なおばちゃん達に支えられます。
 
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本当の“愛”を知ることになる美恵は・・・
 
 
 
この作品、中沢啓治さんの長年の夢で映画化されました。
1999年の公開です。
 
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中沢さんご自身で脚本、監督されました。
映画に出てくる人達はプロの俳優でなく、地元・広島の人達です。
俳優が喋る“広島弁”でなく、普段自分達が使っている自然なアクセントを発声出来ることが望ましかったのです。
ロケ地も全て広島です。スタッフも広島にゆかりのある人達ばかり。唯一、東京から一人裏方専門のスタッフを連れてきたそうです。
1997年に地元の新聞・中國新聞に出演者募集の記事が載りました。
子供から大人まで随分と集まったそうです。
私もエキストラでいいから応募しようかと思いましたが、映画ロケの為に休めるような雰囲気のある職場でなかったので断念しました。
何よりオーディションで中沢啓治さんにお会いしたかったのでした。
 
撮影は1997年から1998年の冬休みや春休みを利用して行われたそうです。
ロケ弁は仕入れず、全て炊き出しだったそうで、出番もからみもないが、見学にロケ地に来ている出演者にまで炊き出しのカレーがふるまわれ、アットホームな雰囲気の現場だったそうです。
製作費節約の為、炊き出しを行ったのだが、何と一人当たりの食費代が一食29円だったそうです。
 
1999年の秋に公開された時、私は母を連れて観に行きました。
私の家はお好み焼き屋でした。母が営んでました。
協賛している仕入れ先の関係から店にはポスターが貼ってあり、近場の会場に映画が来るのが楽しみでした。
 
映画の上映前、出演者による舞台挨拶がありました。
 
また上映前にロビーで中沢啓治さんによるサイン会がある、と放送があり、席を立ってロビーに向かいました。
その時いただいたサインがこれです。
 
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パンフレットの裏表紙です。
 
とても気さくな優しい方でした。
あの「はだしのゲン」を描いたとは思えないほど、柔らかくてほのぼのした方でした。
 
映画は、素人ばかりの演技でした。でも一生懸命なところ、作品の暖かさが伝わってきました。
映画の中には“原爆”に対して言及するシーンもありましたが、それは中沢啓治さんの思いだったのでしょう。大して気にはなりませんでした。
 
母は半年後に亡くなりました。
店は壊しませんでしたが、倉庫になってしまいました。
 
昨年、中沢啓治さんが亡くなられた時、この映画を強く思い出しました。
テレビ放送も、ソフト化もしてない、十三年も前に一度観ただけの映画をもう一度観て見たいという強い思いが募っていました。
 
そんな時、中沢啓治さんの一周忌であることもあり、12月14日から一週間「中沢啓治ウィークリー」ということで、上映会がありました。
 
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はだしのゲンがみたヒロシマ」という映画と「お好み八ちゃん」です。
入場料は一本1000円です。
再び拝見出来るとは思いもよりませんでしたが、実際観ることで、母の事を思い出すんじゃないかと怖かったです。
1999年上映当時の時には、既に体はボロボロだったようで、間もなく病床に付いた母でした。
病院で機器を装着された母の姿を今も思い出します。
 
でも、時間を作って観に行きました。「お好み八ちゃん」だけの拝見でしたが・・・
 
最初の15分にプロデューサーだった方の挨拶があり、いよいよ上映・・・
案の定、涙が出て来ました。
映画のクオリティだけでなく、母にもまた見せてあげたかった思い、です。
 
店に貼ってあったポスターがロビーにもありました。
ウチのポスターはその年の台風で飛ばされて無くなりました。
今、思えば、母のその後を暗示しているかのようでした。
スタッフの方にわけを話してポスターの撮影を願い出ると快く承知して下さり、撮影したのがこれ・・・
 
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ガラス戸の向こうだったのでストロボは使えず、また焦点も合わないが、この出来上がりで満足感いっぱいです。
 
 
そして20日には上映後、演奏会と、映画の出演者達が揃ってのトークショーがあるそうです。
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仕事の都合もあるが、チケットを買いました。
 
運よく仕事も順調に終わり、映画館へ行きました。
19時からの上映、そして主役・八ちゃんの子供時代を演じた方が、今は一児の父親になっておられ、彼の師匠であり広島で活躍する音楽家の方お二人での演奏会がありました。
映画のテーマ曲や「星に願いを」など、ジャズにアレンジした曲でした。
 
その後、出演者の方達が数人舞台に上がられました。
主役の八ちゃんを演じた方もおられました。
皆さん、やはり14年の歳月を思わせる歳の取り方をされてます。
 
先ず、このイベントの責任者である女性の方の挨拶、続いて中沢啓治さんの奥さんの挨拶・・・
そして演じた方達のそれぞれの応募した動機、オーディションの話、ロケ時の話・・・
その後のお話などされ、終了予定時刻22時を超えていました。
 
最後に、責任者である女性の方の挨拶の中から・・・
 
昨年8月「お好み八ちゃん」の同窓会が行われ、出演者やスタッフが集まったそうです。中沢啓治さんもお出でになられ、再会の喜びの話に花が咲いたようでした。
これを機に「お好み八ちゃん」を上映して、中沢啓治さんも舞台挨拶をする予定も入っていたようですが、その年、つまり昨年の12月にお亡くなりになられたことの無念さに涙を流されてました。
その涙に誘われました。もう泣かないと胸に誓ったのに、会場を後にする時、その女性の腫れた目を見ると、自分の母親や店のことを話す時、思わず泣いてしまいました。
今思うと恥ずかしいのですが、その女性の方によると今回、色んな思いを持ってこの映画に臨んだ方がおられるとのことでした。
 
現在「お好み八ちゃん」のフィルムは広島映像文化ライブラリーに保存され、一年に一回は公開する約束だそうです。
また、来年上映されることを願ってやまない心境です。
 
原爆ばかりがテーマじゃない中沢作品です。舞台上で出演された方のお一人も言われてましたが、全国の人にも観ていただきたいと思っています。