ジークフリートの遊ぶログ

そそっかしくて、キーボードタッチのミスに気が付かないことが多く、過去に投稿した記事も観直しながら編集しています。

12月19日と言う日

 
今日は12月19日。
 
昨年・平成24年12月19日、漫画家・中沢啓治さんが亡くなられた。
あれから1年経つ・・・
 
中沢啓治さんの代表作と言えば・・・
 
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 はだしのゲン」である。
 
 
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松江市では表現が過激過ぎる、との理由で閲覧禁止になった、というニュースが日本全国を席巻した。
 
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今さら何が!
と、怒りが湧く思いだった。
 
広島県民であるにも関わらず、親が戦争経験者であるにも関わらず、何も知らないでいた私に“原爆”とは“戦争”とは何か?を教えてくれたマンガだった。
学校の図書館に置いてあり、教師達も薦めてくれた唯一のマンガだった。
 
天皇批判や反日感情と受け止めてしまう表現もあるが、読者それぞれが自分で考えればいいのである。
このマンガで洗脳された子供が誕生した、という話は聞いたことがない。
 
戦時中、苦難の生活を強いられた国民のほとんどが、終戦後、軍国主義を押し付けた国家に対して恨み辛みの念を抱いていたと思う。
つまりは、「はだしのゲン」で出てくる言葉は中沢先生のみの思想ではなく、当時を生き抜いた国民の思想の最大公約数と言っても過言ではない。
 
中沢先生が、原爆をテーマにマンガを描くようになったきっかけは、火葬場で目の当たりにした母親の骨である。
原爆の放射能が骨まで喰い尽していて、母親の骨が残ってなかったことが、それまで考えることを避けていた“原爆”というモノを甦らせた気持ち。
想像したら身震いするのは、今私が歳をとってきて人生の経験値が高くなってきたからか?
 
はだしのゲン」は読者に媚びず、自分の思想を押し付ける表現は決してないと思う。
 
このマンガを初めて読んだ小学校の頃はただ怖かっただけだが、歳を重ねて読み返すごとに考える方向に変化が起こってくるとても深いストーリーだと思う。
 
震災により原発事故が起こり、この日本は再び放射能の恐怖に晒され、被曝された方達を増やしてしまった。
中沢先生はそれに対して怒りを覚えていたようだ。
広島、長崎の被爆者達が受けた差別。それを繰り返そうとしている世相に対しての怒りである。
 
目も見えなくなり、中沢先生は既にマンガを描ける体ではなかったのだが、核兵器原発使用の馬鹿げた行為を、語り部として声を大に教えていただきたかった。
 
 はだしのゲン」の表紙をめくると、中沢先生の言葉がある・・・
 
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素直な気持ちで今一度読み返したい。そして今日一日は中沢先生を偲びたいと思う。