ジークフリートの遊ぶログ

そそっかしくて、キーボードタッチのミスに気が付かないことが多く、過去に投稿した記事も観直しながら編集しています。

24時間テレビの思い出 スーちゃん

 
日本テレビの「24時間テレビ」が終わると“夏も終わりだな”と感じ、夏休みの残りの宿題を気にしたりとか、明日は仕事か・・・とか感じたものだった。
今は、武道館で中継しているが、最初の頃は何処か別の場所で、100人のボランティアの女の子達による電話受付と共に中継されていた。
ボランティアの女の子達は、募金受付だけでなく、出演者へのメッセージも受け付けていた。
 
“ボランティア”という言葉が日本に定着したのもこの番組の影響だと思う。
 
“ただ(無料)で活動する”というひねくれた解釈をされ、バラエティー番組なとでコントに取り入れられたり、仕事の中でも、残業代のつかない、休日手当のつかない仕事を“ボランティア”と言う言葉に置き換えられている。
 
最初の頃は、車椅子の方が遠方に出かけられるように、車椅子ごと乗せられるリフト付きバスや、家で寝たきりの老人の為にお風呂を・・・と、巡回お風呂カーを作る為の募金だった。
このリフト付きバス、実は乗ったことがある。学生時代ボランティアをやっていて、とある身障者施設入所者の遠出を手伝ったのである。とても便利な仕組みで感心したが、今はあちこちで普通車改造の自動車を見かける。
巡回お風呂カーも、2000年の介護保険制度以降、かなり充実したものになり、施設利用者の増加、訪問看護・介護も利用しやすくなり、お風呂に入れない在宅高齢者は見かけなくなってきた。
 
日本国内だけでなく、学校も教科書もない貧困の国がレポートされ、結構、自分の国の豊かさを実感したものだ。
まだ学生だったこともあり、政治の事がよく分からず、日本は援助の手を差し延べない、と思ったものだ。
 
今では、武道館に芸能人がTシャツを着て(募金を持って)やって来て、映画の宣伝をする事もあれば、唄ったり、募金にやって来た人達と握手して帰って行くが、最初の頃は、パーソナリティーや出演者達が、ボランティアの女の子の受話器をいきなり取って、メッセージを告げたり、募金を申し込んでいる人と会話する、と言うサプライズがあった。
それはカメラが回っている時ではなく、申し込み者が何かしら深刻な悩みやメッセージをボランティアの子に告げている時だった。
 
深夜、今は芸人の暴露トークで、チャリティーとは関係ない内容を放送しているが、最初の頃は、ロックコンサートをやりながらCM前には本部に切り換えられ、パーソナリティーによる視聴者からのメッセージが挟まれていたのではなかろうか?
そんな時、ボランティアの女の子達の中にスーちゃんが立っていて、受話器を握りしめ・・・
 
「そんな事言わずにがんばろう・・・」
 
と、言っている場面が映った。本当に真夜中である。家族に内緒でこっそりテレビをつけて見たらたまたまそうだった。
芸能界を復帰した頃だから、1980年か1981年かな・・・
 
今思えば、難病の弟さんが身近におられたスーちゃんの、心からの応援だったのだろう。
相手の人は、どんな問題を抱えていたのだろう?
こちらとしては、スーちゃんと話が出来て羨ましかったのだが、当人にとっては深刻だったに違いない。
 
あの頃の番組作りは、まだ視聴者よりの温かみがあったような気がする。
  
ところで、一昨年「24時間テレビ」でスーちゃんの事が取り上げられた。
 
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多少なりとも不満のある番組だったが、この時は涙が出た。
  
これからもこの「24時間テレビ」。武道館で黄色い歓声の中で唄ったり、踊ったり、走ったりするのだろうか?
とても大切な話をしている最中なのに、いきなり芸人が
 
「〇〇(司会者の名前)さーん!△△さんが(武道館玄関口に)来られましたぁ!」
 
と、話の腰を折るのだろうか?
 
身障者を売り物にしている、とまでは思わない。
身障者が抱えている問題、我々が意識しなければならない事、彼らに対する先入観の払拭・・・
 
もっとアピールして欲しいと思う。
 
※ すみません。一部修正しました。