ジークフリートの遊ぶログ

そそっかしくて、キーボードタッチのミスに気が付かないことが多く、過去に投稿した記事も観直しながら編集しています。

「マッサン」終わった

本来なら「ウルトラマンをつくった男たち」その2、として更新するつもりだったが、急遽予定を変更、このドラマについて言いたいことがある!
 
 
朝の連続テレビ小説「マッサン」が終わった。
長いような、短いような半年間だった。
 
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今回、主役となる人物は、広島出身の人であることと、朝の連ドラとしては初の海外からのヒロインということで、関心は大きかった。
 
日本にある外人専門のタレント事務所に籍をおく女優を起用するのではなく、日本語はおろか、日本の文化・習慣さえよく知らない異国の女性を起用するNHKの冒険とも言える大きな挑戦にも関心を寄せていた。
 
 
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   制作発表時のシャーロット・ケイト・フォックスさん
 
 
マッサンこと、竹鶴政孝さんに嫁いで来たリタさん。
確かに愛する人に身を捧げる決意と覚悟はあったものの、排他的な当時の日本社会において、どんなに苦労されたのだろうか?
それはまた、遠い異国から日本にやって来て、言葉も文化も分からない中で演技をするシャーロットさんとも重なる部分があり、目を潤ませることが多いドラマだった。
 
 
 
 
さて、最終回・・・
 
エリーは64歳で亡くなってしまう。
流産した後、子どもがもう作れないほど、体が元々弱かったのだが、それはあまりにも早過ぎた。
 
エリーの葬儀後、マッサンは二日間閉じこもって泣いていた・・・
]娘・エマからの声掛けにも反応しないマッサン・・・
 
 
エリーは、自分が死んだら読んで欲しい、とマッサンに手紙を残していた。
 
 
その手紙を取り出して読むマッサン・・・
 
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“一日に一度、夜眠る前に、私のことを思い出して下さい・・・
マッサンには見えないかも知れないけれど、私はマッサンのそばにいます・・・
 
 
これにはグっときた。
 
 
 
昭和46年。
マッサンの作った『スーパーエリーウイスキーが、“ベストスコッチウィスキー特別賞”を受賞。 
 
 
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・・・エリーの墓前で祝杯をあげるマッサン。
「ありがとうのう、エリー・・・」
 
 
「マッサン!」
 
 
何処からか、エリーの呼ぶ声の幻聴に虚空を見つめるマッサン。
そこに、エリーとの思い出を回想する・・・
 
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人生はアドベンチャー
 
 
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だが、最終回の前日が一番泣けた・・・
 
 
 
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・・・病床で、二人っきりになったマッサンとエリー。
 
 
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二人は、思い出を語り合う・・・
 
 
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マッサンに手を握られたまま、エリーは息を引き取る・・・
 
 
 
 
このドラマの後の8時15分に・・・
 
 
という番組がある。
番組の冒頭で、リアルタイムでオンエアのモニターを観ながらスタンバってる有働由美子アナと井ノ原快彦さん、そして柳澤秀夫さんによる、その日の朝ドラの感想が述べられる。
それは“○○(朝ドラの番組名)受け”として、話題になっている。
この日は、金曜プレミアムトークのゲストとして「マッサン」の主役お二人が登場。
 
 
番組は例によって、有働アナ号泣のワンスショットから始まったのだが、カメラが切り替わり、スタジオで一緒にオンエアを観ていたゲスト二人も号泣している場面も映された。
更にシャーロットさんの傍におられる通訳さんも涙していて、イノッチからハンカチを渡される一幕も見られた。
 
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実はシャーロットさん。この回のエピソードをここで初めて観たそう・・・
 
 
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私は前日、この番組にメールしていた。
 
“毎回、見事な広島弁を披露されていたが、特に苦労した点は?”
と、玉山鉄二さんに対してのと、
 
シャーロットさんに、
“言い回しが特に難しかった日本語について・・・”
 
の質問だった。
 
 
しかし、番組開始前より、既に400通を超えるメール・ファックスが届いていたそうで、さすがに私からのメールは却下だろう、と思われたのだが、
番組の流れの途中で、有働アナがメッセージの束を何枚か取り出して・・・
 
「広島の人から・・・
       ・・・自然な広島弁でした・・・と」
 
と、私の送ったメールに似た内容を読み上げられた時、
 
『えっ、ワシからの!?』
 
と思わず呟いた。
 
有働アナは差出人の名前まで言われなかったが、他に広島から同じ内容の文章でメールを送った人がいるのだろう。
取り敢えず、あの質問には私のも含まれる、と思い込むことにしようか、と、浮足立った。
 
玉山鉄二さんは、京都の出身で、大阪篇の時、鴨居の大将こと堤真一さんとの絡みのシーンで、つい関西弁につられてしまうことがあったけれど、自分が演ずるマッサンこと竹鶴政孝氏は広島の人だということで、北海道篇になっても、広島弁で貫くことにこだわった、と言われた。
 
 
 
玉山鉄二さん、と言えば、昨年の実写版ルパン三世での、次元大介が記憶に新しいが・・・
 
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私にとっては、今だに・・・
 
 
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  ミッチこと堀江美都子水木一郎アニキの唄う
                “燃えろ!スーパー戦隊魂!!”のCD
 
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ガオジルバーなのだ! 16年前だ・・・若い!
 
 
 
 
「マッサン」は、ここ、ご当地広島では特に好評で、
3月25日に“ファン感謝祭”が行われた。
 
 
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3月29日の放送。
 
 
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広島にやって来たのは、主役のお二人に加え、
八澤俊夫役・八嶋智人さん、岡崎千加子役・西田尚美さん、亀山すみれ役・早見あかりさん。
西田尚美さんは広島出身。
 
私は、このイベントに参加したくて往復ハガキを送ったのだが、会場収容人数を遥かに上回る7829通もの応募があったそうで、私は落選し、気落ちしていた。
しかし、テレビカメラが会場に振られた時、空席が目立っていた。
当選しても行かなかった人がいただろうし、一枚の往復ハガキに複数の人数で希望し、その人たちが各々でも応募しただろうし、また一人で何枚も書いて応募した者もいただろうし・・・
 
空席を無くす為に当日券を発行しても良かったのでは・・・とオンエアを観ながらぼやいてしまった。
 
この“ファン感謝祭”に応募する時、住所・氏名・参加希望人数の他に
 
『あなたが選んだ思い出の名シーン』
 
を書く項目もあった。
会場では、上位3位が発表された。
 
第3位
『鴨居の大将からの退職金』 第90回・1月17日放送
 
 
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北海道で自分の会社を立ち上げる為に、鴨居の大将に資金援助を申し出るマッサンに、大将は10万円もの大金を貸すのではなく、退職金として手渡す・・・
 
 
第2位
『私の名前は亀山エリーです。』 第119回・2月20日放送 
 
 
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突然スパイの容疑をかけられ、特高から理不尽な迫害を受けるエリー。
特高の詰問に対し
「私の名前は亀山エリーです。」
と毅然と応える。
 
「私には、この国に愛する夫がいます。愛する娘がいます。ここには、私の愛する家族がいます。ここは私の故郷(ふるさと)です」
 
この言葉にグっときた。
 
第1位
『早苗との別れ』
~サンキュー、グッドバイ~ 第84回・1月10日放送
 
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臨終の間際に、エリーを嫁として認める言葉を発する早苗。
 
「話す言葉が違っても、人の情けは同じ・・・あんたは、日本一・・・世界一の嫁じゃ・・・」
 
・・・そして最後に言った言葉が
 
「サンキュー、グッドバイ」 
だった。
 
これは、本当に感動のシーンだった!
 
 
私が応募した時の『思い出のシーン』はこれらではなかった。
もっと昔の?シーンを選んでいた。
 
 
第7回「災い転じて福となす」10月7日放送より
 
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大阪に旅立つ二人に、あかりを通して早苗から届けられたものは・・・
 
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・・・箸だった。
 
実は早苗は、既にエリーを嫁として認めており、これから直面する苦悩に耐えれるよう、先ずは、箸使いが上手でないエリーに対して、早苗からの心遣いであり、第84回のエピソードをこの時既にに暗示しているように思われたのだ。
ちょっと深読みし過ぎたか?
 
 
 
放送開始頃は、スーパーの酒コーナーでよく見られたハイボール
  
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・・・これは黄色いけれど、赤いバージョンのもあった。
まだまだ店頭に並ぶだろう、と思って捨ててしまったのだが、この黄色いバージョンのものは、まだ捨てずに取っておいたのたが、撮影に役に立って良かった。
 
 
このドラマは、マッサンこと竹鶴政孝さん、奥さんのリタさんの物語だけでなく、異国の地で頑張るシャーロットさんのサクセスストーリーを観ているようで、2倍の面白さを感じた。
シャーロットさんは、これからも日本での仕事の場が広がるだろうし、益々の活躍を祈りたい。
 
これからスピンオフドラマもあるし、GWには「総集編・後編」
秋頃には「ダイジェスト一挙放送」があるだろう。
 
既に、新しいドラマ「まれ」が始まったが、もうしばらくは
“マッサンロス”が続くと思う。
 
 
※実は、3月29日に更新する予定でしたが[決定]キーを押す直前に、パソコンのコンセントがタップから抜けてしまい、全ての内容が消えてしまいました。日付が変わった30日未明頃から、“記事を公開しない”にして、少しずつ作ったものです。更新日が30日なのは、その為です。