3月12日という日 ガンバレ東北!
あの日から4年経つ・・・
2011年3月11日・金曜日。
この日私は、夜勤の為、昼まで寝ていた。仕事に臨む準備を14時頃から始め、時計代わりにテレビの音を聴いていた・・・
もうすぐ15時になる、と思っていた時、たまたま合わせていたチャンネル、フジテレビ系列の番組が、報道センターに切り替わった。
そこに映し出されていたのは、フジテレビの屋上から見える、何処かの施設か建物か何かの火災模様だった。
関東で強い地震があったのか?
と、思い、そのまま職場へ・・・
車内のラジオでは東北で強い地震があったが、詳しい情報が入ってない、とのこと・・・
職場へ着くと、食堂のテレビが放っていたのは、東北の町の何処かを真っ黒い水が、映画の「黒いじゅうたん」のように浸食していくさまを空撮しているものだった。
何これ!?
と、驚き。
夜勤中の休憩時間では、携帯のヤフーニュースに釘付け。
○○県の△△町は壊滅状態。
××県警は、□□海岸で200名の遺体を確認・・・
のような見出しが次々に飛びこんできた。
どんな地震だったんだろう?
と、翌朝、食堂のテレビで確認。
その時、とんでもない規模の地震が起きたことを知った。
その帰りのこと。だいだい11時前・・・
昼御飯を買う為にいつも寄るスーパーにて・・・
そこでは『駅弁フェア』という催事をやっていた。
中には、東北地方のものも並んでいた。
“地震により、入荷出来てないものもあります”
と簡易な貼り紙もあった。
そこで見つけた中に・・・
・・・仙台名物“牛たん丼”があった。
今、ここで売られている、ということは、製造されたのはいつなんだろう?
手にとってパッケージを観ると・・・
・・・今日の夜9時までが消費期限。
晩御飯として買っていく客もいる、と意識しての販売なのだろうか?
家に帰って、テレビを観ながら、この弁当を食べた。
弁当箱の横からは糸が出ていて引っ張ると、中の石灰と水が混じって熱を発した。
発泡スチロールの蓋から
“シューッ!”
という音と、煙が出て来た。
温まるまでの間・・・
テレビで、震災直後のニュースが流れているのを観ながら、今一度、この弁当が製造された時のことを想像した・・・
生モノに近いが、冷凍ものでもない。
二日や三日も前に作られたものとは考えられない。
この弁当は、地震の前に、弁当の製造工場?店舗?を出発し、あのスーパーの催事日である12日の早朝か真夜中に到着したと考えた。
それとも高速を使って長距離トラックで来たものか?
色々考えた。
この弁当を作った方達は無事なのだろうか?
震災前の最後の仕事だったのか?
ニュースを観ながら、温まった弁当を食べながら涙が出てきた。
この弁当箱・・・石灰は花壇に蒔いて処分したが、パッケージや箸は捨てられなかった。
4年経っても、この弁当箱はそのままの状態で、今日写真に撮った。
被災地では、まだまだ困難なことを強いられている方達が大勢いらっしゃる。
“復興”
と言う言葉は、簡単に口から出るけれど、実行するのは難しい。
遠く離れた西日本のこの地で応援することしか出来ないが、同じ日本人として、頑張って欲しい。