ジークフリートの遊ぶログ

そそっかしくて、キーボードタッチのミスに気が付かないことが多く、過去に投稿した記事も観直しながら編集しています。

今年の墓参り。そして…

 
毎日、忙しくて、しんどい・・・
 
今年の盆休みは14日の一日しかなかった。
その前日も仕事で、睡眠時間も十分でないまま14日は田舎に墓参りに行った。
 
雨が予想されていたが、仕方ない・・・
 
山の中に入っての墓参り。
寺や墓苑と違って、山の中だと周りは雑草だらけ。
毎年、盆が近づくと、自分の土地に墓所を持っている人は、お参りに来てくれる人の為もあって、雑草刈りをする。
 
ウチの田舎の墓地のそばにある、墓所を撮影させていただいた・・・
 
           イメージ 1
 ・・・画像左側  ↑ このあたりが通り道になっていて、そこだけ綺麗に雑草が刈られていた。
 
広島のお盆の墓参りは画像の通り、墓石のそばに燈籠が立てられるのが特徴。
「ケンミンショー」でも紹介されたが、全国でも珍しいらしい。
 
由来は昔、江戸時代。傘張り職人の娘が幼くして亡くなり、父親は、娘が寂しがらないように、傘の骨組を作り替え、錘を逆さに色とりどりの紙を貼って派手な燈籠を作ったのが広まった、という説が今のところ有力。
紙は豊富にあったそうで、販売している店があった、ということから広島市中心部に“紙屋町(かみやちょう)”の名が今も残っている。
 
寺や墓苑など、墓石が連なっていると、燈籠の数は膨大になり、圧倒される。
 
 
ただ、初盆(亡くなってから、初めて迎える盆)の場合は派手にせず、真っ白な紙が貼られるのだが、今年それにめぐり合って撮影させていただく機会がなかった。
 
これは慰霊のためだけでなく、参る人の名前を燈籠に貼られた紙に書くのである。
 
すると『誰がお参りに来てくれたのか?』
 
と、墓を管理する遺族が、盆明けに掃除をしに来た時に把握出来て、お礼の電話なり、年賀状の挨拶に取り入れたり出来るのである。
  
 
       イメージ 2
 
この画像は小さい燈籠で幼児向け。5~60センチくらいの高さ。
子や孫、曾孫など小さい子がいる場合、子どもの名を書いて立てることがある。
 
ご覧のように、燈籠を立てる為のパイプも予め墓所には設定することもあるくらい、燈籠立てはメジャーである。
 
 
「ここに立てるんよ」
 
と、母親なり父親が穴に差し込むように教えるのだが、この燈籠を立てる時の子どもの行動を想像して口元がゆるくなった。
 
グレーの部分は、親戚の子の名前が書かれてあった。今年4歳だそうである。
従兄弟、はとこも年齢を重ね、それぞれが独立して遠方に住むようになり、全く会えなくなっても、これらで
 
『この前生まれた赤ん坊が、こんなに大きくなったのか?』
 
と気付いて、微笑ましくなる。
 
 
燈籠は、墓苑や寺だけでなく、スーパーやコンビニでも売られているが、高齢で車の運転が出来なかったり、電車やバスだけの移動しか出来ない人がお参りする場合、燈籠でなく、塔婆(とうば)というものを立てることもある。
 
       イメージ 3
 
・・・黄色い矢印がそうである。
 
南無阿弥陀仏”と書かれた板で、これもスーパーやコンビニ、または百均でも売られていることがある。
燈籠より安くて持ち運びに便利、何より盆明けの処理の簡単さに、このやり方が近年注目されている。
 
因みに、矢印の塔婆は私が立てたもの・・・
 
 
この後、我が家の仏壇に供えた花、神棚に供えた榊、燃え残った線香など、“ゴミの日”に普通に出すのがためらわれるものを、この墓所に隣接している畑で、切り花を包んでいた紙と一緒にまとめてお焚きあげして帰った。
 
父方、母方、さらに遠い親戚・・・と、それぞれ、同じ広島県でも離れた場所に、なおかつどれも山の中にあるので、車での移動はしんどかった。
 
  
ブログの更新どころか、パソコンの立ち上げも一週間ぶり。
スマホで他の方のブログを拝見させていただくのも、昨日から一昨日がやっと。
猛暑で体がついていかない、と思えば台風や大雨の対策に翻弄されてヘトヘトです。
昨夜も遅くまで仕事で、帰りは大雨と雷。まるで白滝が落ちてきたかのような大粒の雨が車のフロントガラスを叩いて、それをワイパーが砕いていく。
そして、時折あたりが真っ白になるような稲光とその後にやってくる腹の底から震えるような轟音。
ラジオからは広島の“どこと何処が停電…”と言っていて、なるほど、遠くに見える山間の住宅地は真っ暗。
落雷に遭いませんように・・・と祈りながら帰ったものだが、今朝、目が覚めて驚き!
 
広島市の北部となる安佐北区安佐南区が大変なことになっていた!
 
はぁ!これ本当?
 
あの辺りは山を削った新興住宅地。平年の8月の一ヶ月に降る雨の量が、数時間で達して大規模な土砂崩れになったそうだ。
真夜中であることで避難指示は行き届かず、水に弱い地質、また、私の嫌いな言葉、
 
“前例がない”
 
と言ったような雨量計測のデータ分析不足から起こった悲劇。
救助にあたった消防士で亡くなった方もおられる。
 
土砂に巻き込まれて亡くなった方を思うと胸が痛いです。
 
     イメージ 4
 
本日の夕刊。
 
昨夜『雷がやかましい』だの『雨で鬱陶しい』だのボヤいていた自分が恥ずかしい・・・
 
 
実は、この安佐北区に知り合いが住んでいる。
 
今朝、メールを出したが返事がない。
 
それでもいつもと変わらない日常を送り、夕方電話したがやはり不在。
コールが鳴ってるみたいなので、土砂の中にはいないのだろう・・・
避難所にいて、一緒に避難した人を気遣って、携帯をマナーモード゛にしていれば、コールが鳴ったことも、或いはバイブにも気付かないのかも知れない・・・ 
と、思っていたら向こうから19時過ぎに電話がかかってきた。
 
一応無事だが、少し離れた家の前の道路は土砂の川になっているそう。
二階の窓から見えるすぐそばの山は一部が崩れている。昨夜から雨が凄く、玄関先に置いていた植木鉢の中は雨水が溜まって溢れ過ぎて、土が無くなるほどだったそう。
それでも仕事に出たのだが・・・
 
・・・今は、仕事帰りの車の中からの携帯だが、全く車が動かない、とボヤいていた。
 
日中はヘリコプターが飛び交い、至るところに赤いランプの車が連なっている・・・
と言っていた。特に小型バスのような赤いランプをつけた車が多い、と言っていた。
 
昼間は、車のバンパーまで達したかのような水の中を走行しなければならなかったそう。
・・・でもこれ、多分錯覚。
前の車、または、すれ違う車が弾いた水が跳ね上がったのがパンパーくらいだったのだろう。それが延々と続く恐怖でそう感じたのかも知れない・・・
でも、万が一の事があるので、
 
「もし排気ガスの出口から水が入ったら車は動かなくなるんよ」
 
と言ったら、驚いていて、このまま家に帰れなかったら、職場まで引き返して泊まる、と言っていた。
いささか興奮気味に話していたので、時間の順序が支離滅裂な気がした。今思い出しながらまとめてみました。
 
一応、その知り合いが無事だったのは良かったが、まさか広島でこんな大災害が起こるとは思わなかった。
 
まだこれからも大雨警戒が出ている。私の住まいは土砂災害の心配はないが、雨が多すぎると床下浸水になるかも知れないし、落雷は十分考えられる。
もしもの時の為に対策を考えておかなければ、と思い知らされた。
 
 
この度、被害に遭われた方のお見舞いを申し上げます。