映画「風立ちぬ」 タバコと戦争とユーミンと
遅ればせながら、映画「風立ちぬ」を観た。
7月に公開だったからかなりのロングラン上映となる。
夏の間に観たかったが、メンズディ、会員サービスデーに休みが合わず、
やっと夜21時過ぎからのレイトショーで観ることが出来た。レイトショーは1200円なのだ。
時代の符合、“堀”の韻を踏んでいることから、まるで史実のような印象にも受取れる。
物語は始まってから半分くらい?は、堀越二郎氏の少年期から設計者になるまで。
後半は妻の菜穂子との結婚生活になっている。
ドラマや映画などを観る時は、いつも観る側だけでなく、作り手側の見地からも考えながら観ている。
宮崎駿という監督は、個性がかなり強い。あれ、ちょっと偏屈かな?と思われるところもあるが、アニメーションを作る為に多数の人達を束ねる力は相当あるのだと認めなければならない。
今回拝見した「風立ちぬ」はセルを使わず、パソコンでの彩色とは言え、原画は手書き。我々が教科書やノートの隅っこに暇つぶしに描いたパラパラマンガとは次元の違う動きに度肝を抜かれた。画面の隅々、細部に至るまでの細かな動き…計算されたリズム感にアングルの絶妙な変換、近くのものと遠いものの景色の動きの違い、いわゆる“視差”
・・・これが一人の人間の頭の中で設計されているとは!
そもそも絵が動くことに、とても神秘的なものを感じる性分なのに圧倒されまくった。
しかし、声を庵野秀明氏という声優としては素人の、まるで棒読みのような台詞が、想像していたメランコリックなイメージを払拭してくれた。
隣国では、戦争責任としての・・・とお決まりの苦言が出ていたが、映画の中では、零戦を作りながら、軍部に対して皮肉った言葉を発したり、内心小馬鹿にした態度を取っていてクスっと笑ってしまうシーンもあった。あくまでも未来を見据えた飛行機を作るのであって、兵器として作るのではない、と言う信念のもとに“零戦”に取り組んでいた。
しかし、この映画、上映後まもなく“禁煙学会?”なるところから苦情が出ていた。
確かに、物語の中では、何度も「タバコあるか?」とか、キセルをふかしているおじさんがいたり、結核の妻の横でタバコを吸うシーンもあった。しかし、結核の妻の横でタバコを吸うことを二郎氏は最初は断っているのである。
この時代、と言うか、ついこの前まで、酒とタバコは大人になったらたしなむ、と言う風潮があって、私が子供の頃は、電車、バス、映画館…そこかしこでプカプカ吸う大人達でいっぱいだった。
小学校の時、担任の机も教室にあって、休憩時間になると、担任の教師はそこでプカプカ吸っていたほどだ。
子供向けのテレビ番組でも
「緊急指令10-4・10-10」 「ワイルド7」
すぐに見つけてアップ出来る画像はこのくらいなので恐縮だが、要するに大人の男は普通にタバコを吸っていた。
私はタバコを吸わないが、時代をも否定する風潮には反発したい。
映画のマネをする、とか言われているが、少なくとも小・中・高校と、タバコについての害悪の授業はある筈である。親もタバコが害であることを教えればいいではないか!それでも吸ってしまうのは、残念ながらその子の資質なのだ。それを映画のせいにしてはならないと思う。
宮崎駿氏も堂々と反論すればいいのだ。
と、思いながらストーリーを追いかけた。
ラストは淡々としていた。
ストーリー全般にわたって風がやたら吹いたり、雲の流れや、タバコの煙の流れが多かったのがピタっとなくなったのが映画の深みを増したと思われた。
いわゆるタイトル通りのシーン・・・
実はCDを持っている。
実は、ユーミンに3年くらいハマったことがある。
きっかけは湾岸戦争だった。
何で?
そんな時、新聞広告でたまたまユーミンのコンサートがある事を知って、
『広島にも来ることがあるんだ!』と感動した。(実際は毎年のようにライブがあったようだ)
今のうちにステージを観ておこうか、と電話予約して行ったコンサートが
「天国のドア」だった。