ジークフリートの遊ぶログ

そそっかしくて、キーボードタッチのミスに気が付かないことが多く、過去に投稿した記事も観直しながら編集しています。

想い出の宝塚劇場 その2

 
前回の『想い出の宝塚劇場 その1』の続きです。
 
もっと早く更新するべきでしたが、仕事が忙しくてクタクタ、漢字で書くと苦多苦多でした・・・
  
今から22年前・・・1994年。震災の前年に宝塚市に行った時のこと。
 
5月1日に宝塚劇場へ行き、一週間前に開館した・・・
 
           イメージ 1
 ・・・手塚治虫記念館開館記念として
   
   イメージ 2
            前回の記事の画像を使用
 
・・・花組公演ブラック・ジャックを観劇。
 
・・・が前回まで。
 
今回は、第二部となるグランドショー火の鳥へとつながれて行く。
 
第一部のブラック・ジャックが終わり、休憩時間の間にトイレへ行っておく。
女性ばかりの劇場なので、男性用トイレの数は少ない。
並ばなければならないのかと、少し不安だったが、男性客事態殆どいないので心配することはなかった。
 
第二部のグランドショー火の鳥・・・ 
 
   イメージ 3
        火の鳥」を中心に置いたチラシ
 
・・・が始まる前に、宝塚80期生による舞台挨拶があった。
宝塚は創立80年でもあったわけで、丁度節目でもあった。
「すみれの花咲くころ」の音楽と共に緞帳が上がると、袴姿の卒業生39人が舞台に並んでいた。
 
並んでいる卒業生のうち、代表して3人が一歩前に出て、切り口上が行われた。
 
これはブラック・ジャックの通常公演の日程の中、第一部と第二部の火の鳥の間に組み込まれていた。
 
毎回、それぞれ違った3人ずつが切り口上を行うようだ。
 
「わたくしたち、80期生は・・・」
  
で始まる切り口上。この中から未来の大スターが生まれるのだろうか?
 
このブラック・ジャックの公演は卒業生バージョンというのもあり、彼女たちにとっての初舞台となる公演日・公演時間も、通常日程の中に設けられていた。
ただし料金は、いつもより安くなっている。
 
彼女たちによるショーもあって、その後いよいよ火の鳥の始まり始まり!
 
どのようなストーリーなのか、と思ったが、手塚キャラクターが火の鳥を探す、というもので、ストーリーらしいストーリーはあまり感じられなかった。
 
お茶の水博士、メルモちゃん、ビッグX、ランプなどが出てくる。
それらしい恰好をして行列を作る。
 
舞台の前へ、客席に迫り出すようにオーケストラがあって、それを取り囲むように弧の形を作ったボックスになっている。
ボックスとなった外壁の天辺がそのまま花道となって、舞台から客席へと演者が歩くのだ。
ヒョウタンツギも出てくるが、人の腰の高さくらいのフィギュアにコロが付いていて、最後列のキャラクターに引っ張られながら行列に続くという感じ。
 
唄いながら、歩きながら、踊りも加わって、最後に爆発をイメージした照明の点滅と共に、大階段が表れる。
そこに背中に羽根をつけた赤い姿の火の鳥が降りて来る。
 
※ 画像にあるチラシのコスチュームです。
 
派手なパフォーマンスだけかと思ったが“命を大切に”とか“新しい命を作ろう”とか、メッセージ性は十分あるが、手塚作品オリジナルの重いコンセプトは感じられなかった。
  
全公演が終わって・・・
  
            イメージ 11   
       コンパクトカメラで撮影 アルバムに貼ってある写真プリントを更に撮影
  
・・・宝塚記念会館に入った。
 
実は、22年も前のこと。ここに入ったのが、観劇の前か、後か、よく覚えていない・・・
ただ、中は天津乙女さんなどのかつてのタカラジェンヌを紹介するパネルがあった、と記憶している。
  
夕方6時前くらいだったか、まだ明るいので、少しブラつくことに・・・
 
      イメージ 4
  ・・・そこで、向かいに位置する宝塚ファミリーランドに入ることにした。
  
ここは・・・
 
       イメージ 5
 ・・・宝塚歌劇の当日の半券を提示すると無料で入れる。
半券でなくても、当日の公演時刻前なら本券のままでも入れる。
 
アトラクションに乗るつもりはないので、ただ園内をブラブラ歩くだけ・・・
 
          イメージ 6  
 
          イメージ 7
 
・・・期間限定のイベントがあるみたいだが、入って見学する時間はない。
 
    イメージ 10
 
  イメージ 8   イメージ 9
 ・・・案内板などに設置されているボックスなどにある無料配布の冊子。
  
 イメージ 12    イメージ 13
 ・・・ここは動物園もある!
  
座って休憩。ドリンクを呑んだ後のストローの袋まで取ってあった!
 
          イメージ 14
  
          イメージ 15
 ・・・これは宝塚大劇場のものだったか?
半券や、リーフレット、チラシなどがこの袋に入れられ、フエルアルバムに一緒に綴じ込みされていた。
 
辺りが薄暗くなってきたし、閉園の時間も近付いてきた。
外へ出ると、宝塚大劇場では沢山の女性たちが!
 
          イメージ 16
 ・・・どうやら“出待ち”らしい。
 
一人一人出てくる度
 
「「「「 お疲れさまでしたぁ! 」」」」
 
の大合唱。
  
日も暮れて来た。
 
道路を挟んで、宝塚大劇場の向かいに位置する・・・
  
   イメージ 17
・・・手塚治虫記念館
  
            イメージ 18
 ・・・入口も閉じられている。
  
         イメージ 19
・・・明日は、いよいよここへ来るんだ、とホテルへ向かった。
 
 
これは22年前のこと。
この年、この月、この日、どんなことが起きたのか、泊まったホテル側が客室ドアの下から差し込んでくれた新聞で分かる。
 
   イメージ 20
 ・・・宿泊した5月1日の翌日・2日の朝日新聞朝刊
 
今でも覚えている。
驚いて、客室で読んだことを・・・
 
           イメージ 21
・・・アルバムから出て来た当時の新聞。
22年も経ったのかぁ!
 
そして、2番目の画像のブラック・ジャックのプログラムを久し振りに開いて撮影していて、これまた驚き。
 
今は知っているキャストは安寿ミラさんと、真矢みきさんの二人だけだと思っていたらブラック・ジャックに出演の他のタカラジェンヌの中にいたのだ・・・
 
   イメージ 22
 ・・・愛華みれさん。
「NHKゲゲゲの女房に出演。兄嫁の役だった人。
 
そして・・・
 
    イメージ 23
 ・・・紫吹淳さん。
 
最近ではバラエティ番組に出演されていることが多い。
  
写真がモノクロ扱い、ということは、この頃はまだ成績が上位ではなかったようだ。
 
宝塚歌劇団は、プログラムへのキャストの紹介を成績順に掲載している。
違う演目を続けて観劇してプログラムを観ると、キャストの並び順で、その組の中での位置関係がよく分かるのだ。
  
さて、当時の資料を探していた時、どうしても同時に思い出してしまうことがあった。
 
 前回の記事での怒り・・・
  
新大阪駅で、新幹線に乗ろうとした時、関西の周遊券だけでは改札を通過出来ないことを知らないでいたら、改札口で、出し抜けに怒鳴られたこと。
 
 ・・・だけではない。
  
この宝塚への旅行を計画したのは3月の始め。
当時は、今のようにネットがあるわけではない。時刻表を買いるるぶという旅行雑誌を買い、路線やホテルを調べて、予算を計算しなければならなかった。
 
宝塚歌劇は一ヶ月前でなければ予約出来ない。
ブラック・ジャックのチケットが取れてから、ホテルを予約するとして・・・
 
その前に肝心の手塚治虫記念館には、いつ入るか、そして何時までに出なければならないか? を計算しておかなければならない。
 
3月に発売された最新版のるるぶには、手塚治虫記念館が4月25日に開館する、とだけで、詳細は載っておらず、ただ問い合わせとしての電話番号は載っていただけ。
平日は仕事がある為に電話は出来ず、土曜日の休みの日に電話してみた・・・
 
かけた相手は0797で始まる番号・・・
 
電話に出た相手と私の会話? らしきもの・・・(出来るだけ再現)
 
相手「はい、宝塚市役所」
 
私「(えっ! この番号って宝塚市役所なんだ)・・・もしもし、手塚治虫記念館のことでお尋ねしたいんですが?」
 
相手(宝塚市役所)「ああ、そういうことはねぇ、ゼロナナキュウナナ・・・にかけて聞いて!(ガチャン)」
 
番号の言い方はゆっくりだったので、聞きながらメモれたが、あまりにも一方的に投げやりな言い方。しかも大きな声で突き放すように言ったあげく、最後には一方的に電話を切られてしまった。
 
おそらくその頃には手塚治虫記念館の電話番号は既に設定されていたのだろう。
 ただ、情報は雑誌などの印刷物から得ることが殆どだった当時、どうやって手塚治虫記念館の電話番号を得ることが出来ようか?
なのに、市役所に電話したこちらが悪い、と言うような態度だった。
土曜日だったから電話に出たのは警備員か?
 
るるぶなどの情報誌に載っていた番号を頼りに、全国から沢山の問い合わせがあってうんざりしたのだろうが、それにしても言い方が気にくわなかった。
  
手塚先生の育った町としての宝塚。
芸術性の高い舞台を観せる・・・いや魅せる宝塚歌劇は好きだが、
  
しかしながら、私は今でも、宝塚市役所は大嫌いである!
  
これが宝塚への旅行の思い出の始まりと、終わりなのである。
 
宝塚市役所に関して、極めていい話が出て来ない限り、この先ずっとイメージが覆ることはないだろう。
 
手塚先生を楽しむ旅行だったが、不快な思い出もつきまとってます。