ジークフリートの遊ぶログ

そそっかしくて、キーボードタッチのミスに気が付かないことが多く、過去に投稿した記事も観直しながら編集しています。

想い出の手塚治虫記念館 その2

 
1994年4月25日に開館した手塚治虫記念館に、一週間後の5月2日に行って来た時の想い出です。
 
・・・前回からの続きです。
 
 
地下とおぼしきホールから、再び1階へ上がる・・・
 
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 ・・・ステンドグラスのようなイラストの天井
 
同じ天井には・・・
 
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・・・オムカエデゴンスが逆さに張り付いている。
  
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 ・・・ミュージアムショップ
 
人が多いなぁ・・・
 
画面右のブラック・ジャックのトレーナーがいいなぁ、と思ったら、かなり高額だった。
 
もう少し観て回ってから、最後にグッズを買って帰ろう・・・と再び二階へ・・・
 
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 ・・・アニメ画像や、キャラクタークイズが検索できるコンピューターの席が空いていたので、即座に坐る。
                                
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 ・・・まだ当時は、今ほど普及してなかったパソコン。
“マウス”の使い方は知っていたが、ドラッグやスクロールなんて言葉はこの頃はまだ知らない
  
集合しているキャラクターの中から、矢印(ポインターのこと)がブラック・ジャックを示すようにマウスを動かしてポン!(クリックのこと)と押す。
 
クイズが始まるのだが、考えていると隣に座ったのが、一番乗りしたあの三人の児童達で、私の観ている画面を横で観ながら、答えを先々に言うのである。
将棋や囲碁をさしていて、ギャラリーが横から口出しするようなもの。
鬱陶しい上に、更に周りには、沢山の人だかりが出来ている。他のみんなも座りたいのだと思う。
ゆっくり落ち着いて画面に向き合えないので、諦めてそこを離れた。
 
火の鳥のモニュメントが建ったら、また来よう』
 
と、その時思ったのだが、翌年の1月17日の阪神・淡路大震災によって、予定が延期。
結局、その希望は未だに叶えられていない・・・
 
 この分だと、ミュージアムショップも、もっと身動き出来ないくらいに人だかりになるだろう・・・
  
実はその時の私の両肩に下がっているのは、ビデオカメラとバッテリーを含めた荷物によって人一倍の幅を取る姿だったので、もっと増えるかも知れない入場者達のことを考えて、最後にしよう、と思っていたミュージアムショップに行った。
 
凄い人だかり・・・
すると、開場前に私の後ろに並んだ白いブラウスの女性もまだおられた。
今思うとホントに、最初に並んでいる時に声をかけておけば良かった・・・
 
 さて、その時に買ったものが・・・
 
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 ・・・今も袋に入ったまま保存されている。
 
中は・・・ 
 
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 ・・・ 当時はコレクションとして、または生活必須アイテムとしても主流だったテレホンカード。
色々目移りしたのだが、選んだのがこの二枚だった・・・
  
そして・・・ 
 
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 ・・・鉄腕アトムのバンダナ
 
青とグレーは、広島のアニメショップで買って既に持っていたのだが、他の赤と黄色は持ってなかった。
せっかくなので予備として青とグレーも含め、色違いを全部揃えた。
 
他に・・・
 
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 ・・・ブラック・ジャック
  
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 ・・・テレホンカードのセット。
  
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 ・・・これまたブラック・ジャック
 
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 ・・・システム手帳だ。
  
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 ・・・1994年から
  
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 ・・・1997年までが綴じ込みされている。
  
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 ・・・アルミ製で重厚感がある。
 
この頃ってバブルの名残があって、仕事に遊びに、充実した人達が沢山いた。
私なんぞは、日曜、祝祭日以外に月に二回の土曜日が休みというカレンダー通りの勤務だったので、スケジュール帳なんて必要なかった。
しかし周りには、看護婦や消防士、119番オペレーター もいて、彼らが一様に持っていたのがこれらシステム手帳だった。
彼らが、飲み会や講習会、公民館祭りの日取りを書き込んでいるのを観て妙に羨ましかった。
 
・・・で、私も気分だけでも、とスケジュール帳が欲しくなったわけだ。
 
今、正に私はスケジュール帳が必要な生活なのだが、休みの日がいつなのか忘れる時があって、却ってめんどくさい・・・
  
さて、これを忘れてはならない・・・
  
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 ・・・手塚治虫記念館の図録
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 ・・・裏表紙
                                     
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 ・・・中はこんな感じ
 
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 ・・・あれから22年。
左上の宝塚市長も変わっているので、この紙面は差し換えられているはずだ。
  
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 ・・・今回私が、ビデオを観ただけで各フロアーの内容を思い出せたのは、この案内図があったから・・・
  
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 ・・・館内の展示品も紹介されている。
 
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・・・この本も買った。
広げて撮影しようと思ったが、分厚くて開けにくい。無理に開くと製本時の背表紙の糊が割れそうなので撮影は諦めた。
内容は手塚先生のアニメの歴史だった。
  
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 ・・・その時のレシート、11,341円。
随分使ったなぁ・・・
 
商品をバッグに入れて再び館内へ・・・
  
トイレに行った。
   
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 ・・・トイレの扉もイラスト。
 
中は・・・
 
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・・・誰もいなかったので、ビデオカメラのスイッチを入れる。
タイルにまでキャラクターが施されている。
 
ここは、ホントに夢の国のようだ。
  
名残惜しいが帰るとする・・・
  
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・・・右の円形のガラス戸が入口。
左が出口。
 
館内から外へいきなりレンズを向けたので、館内より明るい外の光で逆光により露光が安定してない。
 
出口へ歩きながらの撮影で、露光が安定した時は、既に外へ出た後だった。
  
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 ・・・外では、館内に入る為の行列が!
館内も沢山の人なのに、この人達が入れるのは、あとどれくらい後なのだろう?
 
行列に沿って歩道を歩く・・・
  
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 ・・・記念館の周りをグルリと周り、すると
  
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 ・・・宝塚音楽学校がある。
  
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 ・・・カメラを構えたまま撮影していると、中から女性が出て来た。
彼女は生徒で、将来はタカラジェンヌになるのだろうか?
  
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 ・・・蔦に覆われた建造物が何だか神々しい。
  
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・・・宝塚劇場まで戻って来た。
  
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 ・・・フラワー通り、と呼ばれる小道を駅に向かって歩く。
  
 
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 ・・・二日間弱過ごした宝塚ともお別れ。
また来たいなぁ・・・
 
宝塚線で新大阪へ。
車中、ビデオのファインダービューを覗きながら撮影したものを確かめる。 
 
さて、当時、私が携えたビデオカメラがこれ・・・
 
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 ・・・マックロードムービー
 
ソウルオリンピックはこれで撮影”
 
みたいなCMがあったが、その時のもの。
友人が使っていたものを安価で譲ってもらった。
 
今はバネが壊れて、カセットが挿入出来なくなっている。
マイクのスポンジもボロボロ。
 
バッテリーパックは一つ何千円もするのに数分しか持たない。
 
だから、長時間の撮影を可能にしたのが・・・
 
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 ・・・7時間連続稼働を可能とするバッテリーパック。
これも同じ友人から安価で譲ってもらった。
横に自動車のシガーソケットと同じ差し込み口があり、ケーブルでカメラと接続する。
しかしこのバッテリーパック、とても重いのだ。
7~8キロはあるだろう。
 
ケーブルを差し込んだままのこれを旅行用のバッグに入れて、ファスナーを僅かに開き、カメラに差し込む側のケーブルを一メートルくらい引っ張り出す。
それを左肩に下げ、ケーブルを体の前にして右手にビデオカメラを提げて歩き回ったのである。
 
尚、バッグの中は、バッテリーパックだけでなく、着替えも入っているし、退館時には購入したグッズも入った。 
更にカメラも入れたら総重量13~14キロ・・・?
 
久し振りに、このバッテリーパックを取り出したが、まだ3~4時間はバッテリーが残っている。
今までビデオカメラ以外に使用したのは、自動車の中を掃除する時、ハンドクリーナーのケーブルがシガーソケットから届かなかった時だけ。
 
だが今、自動車のシガーソケットから電気を取ることの出来る災害時のグッズがある。スマホの充電とか、万が一の時、これが使えるかも知れない。
 
 
終わり良ければ全て良し、と言われるが、この宝塚への旅行を思い出すと、もう一つ思い出してしまうことがある。
 
前日、広島を立つ時、最終目的地が宝塚駅てある、と窓口の駅員に告げたら、関西地区の周遊券なるものを勧めてくれた。この切符一枚で、一日限り関西圏内の路線が乗り放題になる、とのことだった。
帰りが翌日なら期間内に収まっているのでお得です、と。
宝塚以外に別の何処かへ行く予定はないが、何だか魅力を感じて、往復の新幹線の切符に加えた代金を支払った。
 
さて、宝塚から新大阪へ。
新幹線に乗る時の改札での出来事だった。
帰りの新幹線の切符と、この周遊券を見せた時のことだった。
 
いきなり
 
「これじゃあ入れないだろうがぁ」
 
と、構内に轟かんばかりの罵声。
改札口に立っていた駅員である。
そこには三人立っていて、その中の一人初老の駅員である。
 
「そこで、入場券を買わにゃあ!」
 
何が何だか分からなかった。
顔から火が出るほど恥ずかしかった。
何が悪いのか?
 
駅員の指さす方はみどりの窓口
そこで周遊券を出して、改めて新幹線乗り換えの入場券なるものを購入しなければならないようなのだ。
 
まるで私がキセルした犯罪者みたいな態度の駅員。
その時の私の頭の中は真っ白。
もし当時、私が反論しようものなら、他の二人も総がかりで私を駅員室へ連れ込んでいたかも知れない。
みどりの窓口でもその声が聞こえたのか、新幹線乗り場への切符をすぐくれた。
 
「これでいいんですか?」
 
と私が差し出すと
 
「ふん」
 
声になるかならないかの口ぶりで引ったくるように切符を取って、そして返してきた。
 
新幹線の中ではモヤモヤ・・・
 
家に帰って、家族の誰にもこのことは言ってない。
新聞社に投書しようかとも思ったが、どこへ出せばいいのか・・・と。
 
あれから22年・・・今回初めて打ち明けてます。
 
冤罪はこうして作られるのかも知れない。
 
この思い、いつかJR西日本にぶつけてやろう、と思っているのだが・・・
 
せっかくの手塚治虫記念館の想い出を綴ったが、とんだオチになってしまいました。
 
終わり良ければ全て良し、と著したのは、実は最初っからケチがついていた宝塚旅行でもありました。
 
次回は前日の5月1日の出来事を記事にしたいと思っています。
 
※アップされた記事の画像と文章がギチギチに詰まってしまいました。
作成中はゆったりしていたのですが・・・