ジークフリートの遊ぶログ

そそっかしくて、キーボードタッチのミスに気が付かないことが多く、過去に投稿した記事も観直しながら編集しています。

3月23日と言う日 その1

 
一日早いが、今回は3月23日について言及したい。
 
1978年・・・昭和53年3月23日は
 
キャンディーズ・グッバイ・コンサート」
 
が広島で行われた日である。
開始時刻は15時。
妹と一緒に、母に連れて行ってもらったコンサートだった。
 
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    プログラムです                                   こちらは裏表紙
 
 
場所は広島県立体育館。今はグリーンアリーナと言う名称になっている。
今は更地になっているが、当時の広島市民球場を裏に回るとそれはあった。
 
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4月4日・後楽園球場でのファイナルカーニバルに向けての全国縦断コンサートだった。
 
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しかし、3月23日と言えど、実は春休みではない。翌日に終業式を控えた平日である。
6時限目を終えて、すぐ家に帰っても16時前。到底コンサートには間に合わない。
そこで、母方の祖母が急病・・・入院していて危篤に近い症状になってもらうことにした。もしかしたら、今夜が通夜?と言う感じで担任に早退を申し出た。
妹の方も同じ理由をつけて早退させてもらったようだ。
今考えると、保護者同伴で、監視下にあるのだから、早退しようが休もうが、学校側が口出しする権利はない。しかし、当時は“内申書は人質”みたいな風潮があったから、教師の顔色を伺うような、余計な緊張感が必要だった。
 
給食後、帰宅。
母と、妹と三人。母のパート先の同僚の車に乗せてもらい、県立体育館へ向かった。とてもいい天気だったのを覚えている。
 
会場は既に沢山の人達で騒然としていた。やたらと持ち物検査が多く、没収されたと思われるカメラが沢山並べられてた。
 
我々の席はS席。二階の下手だった。
因みにS席一枚三千円、三人だから九千円。チケット予約電話受付の日にすぐ申し込んで、発行手数料百円を含めた九千百円を現金書留封筒に入れて送った記憶もある。
 
チケットが届いた時、
 
えー、二階!
 
と気落ちしたが、実際席に着くと思いのほか前の方だった。
 
※チケットの半券が見つからない・・・ 
 
開始時刻になり、バックバンドのM・M・Pによる
 
♪C・A・N・D・I・E・S~ 
 
SUPER SUPER CANDIES!
 
のかけ声で、キャンディーズの登場!
 
一階フロアは総立ち。二階にいた我々は落ち着いて座って見られたことに胸をなでおろした。
 
キャンディーズは最初外国曲を唄った。何の歌か理解出来なかったが、ABBAの『ダンシング・クィーン』だけは分かった。
 
衣装変えをして持ち歌になると、段々意気が高揚してきた。
 
キャンディーズの立ち位置は、殆どが向かって左はミキちゃん、センターがランちゃん、右がスーちゃんなので、下手側である我々の席からはスーちゃんが一番よく見えた。
しかも、スーちゃんは時々、二階席に向いては手を振ってくれた。
 
「みごろたべごろ笑いごろ」という番組の中でのミニドラマ『めざめれば秋』の主題歌“悲しきためいき”が良かった。もちろん“年下の男の子”も。
“哀愁のシンフォニー”のサビの部分、紙テープの乱舞は圧巻!とても綺麗だった!
 
このコンサートの為に指笛が吹けるように練習もした。
 
“微笑みがえし”に続いて、最終曲の「つばさ」で三人は泣いた。
 
最初で最後だったが、念願の生キャンディーズが観れてとても満足だった。
もし、明日、学校にサボった事がバレても悔いはない、と思った。
 
キャンディーズ三人の勇姿を目に焼き付け、耳鳴りが残るほどの大音響を脳裏に持ち続けたまま、会場を後にした。
 
帰途につく皆の満足そうな顔、そして会話はとても弾んでいたように思う…
暗くはなっていたが、まだ青さが残る夕方の空の月まで覚えている・・・(大きさは覚えてない)
 
3月23日と言う日 その2に続く・・・ 
 
 キャンデイーズのバックバンド、M・M・Pのメンバーであり、チャッピーの愛称で親しまれた元ワイルド・ワンズの渡辺茂樹さんの訃報記事を目にした…
心よりお悔やみ申し上げます。