広島・68年目の祈り
8月6日の今日、広島はとてもいい天気でうだるような暑さだった。
68年前・・・昭和20年8月6日、広島市の上には、今日と同じ青い空が広がっていた。
午前8時15分
ごく平凡な日常を送っていた市民の頭上に、一個の爆弾が炸裂した。
たった1個のその爆弾は一瞬にして、放射状に魔の手を広げて形あるものをこの世から奪い去っていった・・・
今日は68回目の広島・原爆の日である。
戦争や核兵器と常に身近にある広島は、とりわけ今日という日をとても感慨深く迎える。
テレビで、ラジオで、記念式典を視聴し、原爆が投下された8時15分になると黙祷する。
公民館や市役所などでサイレンを鳴らす所もあるので、それを合図に合掌したり黙祷する人もいる。
今日は仕事だったので、先日、記念式典の準備中だった時に行って撮影してきた。
今は原爆ドームと呼ばれているが、かつては広島産業奨励館という名称だった。
この周りには、ごく普通に家並みがあって、その間を縫うように道が延び、辻もあった。
原爆の子の像・・・
原爆投下後、黒い雨にうたれ、白血病にかかって亡くなられた佐々木禎子さんをモデルにしている。
この日も折り鶴を献納するべく沢山の方が訪れていた。
この佐々木禎子さんのことが映画になっている。「千羽鶴」という映画で、昭和33年の制作。
中学生の時、夏休み登校として公民館で鑑賞した。
今でも覚えている。昭和52年8月4日のことである…
映画は、まだ焼跡の残るリアルな広島市でロケが行われ、実際に佐々木禎子さんの同級生も出演されているらしい・・・
そして・・・
原爆慰霊碑・・・
原爆死没者の方々の名前が納められている。
とても広くて綺麗な平和公園だが、元々は普通に家が立ち並び、道路が東西に走っていた。それが一瞬にして真っ平らになり、街が全滅したのである。
被爆者も高齢化が進み、平均年齢も78歳になった。
今でも時々、原爆で焼かれた屋根瓦が見つかった・・・というニュースも聞かれるくらい、広島ではいつも身近に原爆の存在がある。
広島が最初で、長崎が最後。
核兵器のない世界の実現を祈るばかりである。