2023年初春 上京物語 その2 おまけ
東京Zepp DiverCityで行われた『タツノコプロ創立60周年記念特別公演』が終了して、外に出ました。
ここお台場、と言えば、あれが…
あれがあるのです!
等身大のガンダム!
19.7mのユニコーンガンダムです。
以前はRX-78-2…ファーストガンダムが立っていたのですが、その実物を観ないままでした。
正直、ユニコーンガンダムはよく分からないのですが、その姿は圧巻でした。
周りにはスマホを構えた人たちが、その場に動かずにずっと見上げています。
その場を動かないで、カメラを構えたまま…ということは、もしかして!?
間もなく、このユニコーンガンダム。やはり動いたのでした。壮大な音楽と共に、発行色が変わったり、頭のアンテナ?が開いたりしました。
デジカメを録画モードに変えたり、撮影場所を移動したり…
このガンダムは、詳しくないのですが、後になって調べてみると、時間によってユニコーンモードとデストロイモードとに変化するのだそうだ。
ここにアップしたのは、普通の撮影モードのみで捉えたものです。
予め知っていたら、撮影の仕方を意識したのですが、寒いし、お腹が空いたし、簡単な録画モードで済ませてしまいました。
このままホテルに帰ろうかと思いましたが、東京Zepp DiverCityにあるフードコートに入りました。
インド料理専門店のカレーを食べました。
スプーンを刺し入れてから、撮影の有無を思い出しました。
21時半になろうとしています。
ゆりかもめに乗って新橋に戻り、そこから神田。ホテルに帰ります。
歩きながら撮影したので、ぼやけてますが、フジテレビ社屋です。
2023年初春 上京物語 その2
上京して、ホテルで借りたパソコンで、記事をある程度作成していましたが、広島へ帰ってから、新しいパソコンをカスタマイズしながら、あれこれ校正していると、一週間以上も経ちました。
帰広してから二回の夜勤を挟んでいます。夜勤入りと夜勤明けの二日間はパソコンを開くことは殆どありません。二回の夜勤ということは一週間のうちに四日間はパソコンのモニターを開かないので、随分と遅い更新になってしまいました。
新幹線で、あれだけ鳴っていたLINEも東京に着いてからは、入って来ることはありませんでした。
ホテルにチェックインして、バッグから余計な荷物を抜き取り、ナビに沿って新橋駅へ向かい、そこからゆりかもめに乗ります。
ゆりかもめは10年ぶりぐらいです。
お台場に到着。向かったのは…
東京Zepp DiverCityというライブハウスで、ショッピングモールの中にあります。
かつてはZepp東京と呼ばれていたものが、ここに移転されました。
そもそも今回、上京する、という決断を下したのは、この情報があったからです…
タツノコプロが創立して60周年になります。(1962年10月)
それを記念して、特別なライブが開催される、ということです。
チケットは抽選です。
初のタツノコアニメが放送された昭和40年から、随分と年月が過ぎています。それぞれの年代で、それぞれの作品に対し根強いファンがいます。このライブに行きたい人が例え沢山いたとしても、抽選に外れる、ということは先ずないだろうと思いました。しかしながら、全席指定と言っても、ずっと後ろの方の席や、二階席になるかも知れない。でも、60周年です。毎年行われるライブとは違います。一生に一回の経験かも知れない、という大袈裟な感覚になり、一見の価値はあるだろう、と昨年の夏に、運試しに予約抽選に申し込みました。
一ヶ月後。取り敢えず抽選に当たったので、この日を目指して、節約したり、体調と仕事のスケジュールを整える、というストイックな生活を送っていました。
間に、11月27日の水木一郎・堀江美都子による「ふたりのアニソン♯19」というイベントも挟んでます。
絶対に、コロナに罹ってなるものか、と思っていたら、年末に陽性です・・・
5日に明けたのですが、咳によって随分と体力を消耗していました。
歩くのが辛いけれど、今回の目的地に到着しました。沢山の人が並んでました。
入場するにも熱検知や、ソーシャルディスタンスによる整列が課せられてました。
ポスターを撮影。
タツノコアニメの主題歌に携わる、ミッチこと堀江美都子さん、ささきいさおさん(こちらはアニソンの大王と呼ばれています)に加え、先程亡くなられた水木一郎アニキもポスターに名前が載っています。
他にもタツノコアニメに関わるスタッフや声優の出演にも深い関心が寄せられます。
ライブハウスなので、入場時にドリンク代を支払います。そして、取り敢えず席に着いてから、記念グッズを買おうと思いました。
チケットが届いた時、中途半端な位置だと思いましたが、意外と前方でした。始めの2列分A席B席を除いたC列が最前列となってました。最後方Z列と比べたら、とても良い位置と感じました。
舞台の奥、壁面にスクリーンが下げられてました。
開演までに記念になるものを買いました。
クリアファイル3点セットとTシャツです。予めネットで調べ、通販も出来るようでしたが、Tシャツは現物を触ることが出来て、気に入ったので会場で買うことにしました。
特典にポスターが付いてました。持って帰るのにバッグの中でしわだらけになってしまいました…
開演時刻の17時がやってきて、バンドのメンバーがスタンバって、暗転
舞台のスクリーンに「新造人間キャシャーン」のOP画像が映し出され、会場に…
「たった一つの命を捨てて、生まれ変わった不死身の体。鉄の悪魔を叩いて砕く。キャシャーンがやらねば、誰がやる」
暗唱までした「新造人間キャシャーン」のOPのナレーションが響きました。ささきいさおさんの声でした。オリジナルは納谷悟朗さん。
イントロが始まり、ささきいさおさんが登場。ゾクゾクっと背中に電流が走る感じでした。
来て良かった!
の、心境でした。
OPの「たたかえ!キャシャーン」の熱唱の後、ささきいさおさんのトークが始まったの
ですが、
「タツノコプロ創立70周年、ということで…」
の、言葉に会場がザワザワ。
おそらく最前列の誰かが指摘したのでしょう。ささきさんは、笑いながら訂正。
「これで、後の人もやりやすくなったでしょう…」
と、開き直りに会場は大爆笑。続いてEDの「おれは新造人間」に移ります。
ささきさんが舞台から退けると「紅三四郎」のOPイントロと、スクリーンに画像が映し出されました。
ミッチの登場です。
自分のマスクの中で、おおっと、声が出ます。
「紅三四郎」に続いて
「アクビ娘」を唄われます。
ナマのバンドと、ナマのコーラスがいいです!
原作漫画を持たないタツノコプロが手掛けたアニメ…
「てんとう虫のうた」のOP『ぼくらきようだいてんとう虫』を唄われます。
これまでのライブで、メドレーの中の一つとして、拝聴したことはありますが、フルコーラスで拝聴するのは初めてでした。
川崎のぼる原作の、この漫画やアニメを観ていた頃の自分自身と、テーマである、両親を亡くした兄弟7人が力を合わせて生きていく姿を思い出し、目がウルウルときました。他の席でもすすり泣いている方がいらっしゃいました。
他にも「破裏拳ポリマー」のOPとEDに続いて、普段、テレビで見かけることが少ない山本正之さんが登場。
軽快なトークとギター一本で、タイムボカンシリーズの曲を熱唱します。
ずっと声だけ聴いていて、若い方だと思ってましたが、自分も子どもの時から随分と年取ったように、この方も70歳を越えてらっしゃいます。
休憩を挟み、トークショーです。
舞台では椅子が並べられ、ミッチをMCに、声優の上田みゆきさん。この方は、ささきいさおさんの奥さんでもあります。
続いて、笹川ひろしさん(監督)ささきいさおさん、吉田すずかさん、この方はデザイナー:兼漫画家で、創始者・吉田竜夫氏の長女です。今回のライブを象徴するタツノコキャラクター勢揃いのデザインを手掛けておられます。
そして声優・森功至さんが舞台に揃います。
それぞれ、タツノコアニメに対する思い出や印象深い作品、裏話を語ります。
事前にネットで募集した質問に回答したり「科学忍者隊ガッチャマン」の、おおわしのケンの
「ある時は一つ、ある時は五つ。実態を見せずに忍び寄る白い影…」
を、森功至さんが語られました。
会場には、つばくろの甚平を演じた塩屋翼さんがいらして、舞台の近くまで来られたりしました。
最後にトークショーに参加のメンバー全員で…
「ガッチャマンの歌」を大合唱で締めくくります。
このライブにもオファーされていた水木一郎さんについても言及されました。
一番最後に会った時の心境を、ささきいさおさんが語ります。こみ上げてくるものがあります。
そのアニキの映像がスクリーンに映し出されました。
昨年のライブ映像でした。
「宇宙の騎士テッカマン」のOP『テッカマンの歌』
です。
グッとくるものがあります。
そう、水木アニキはもういないんだ…
改めて実感します。
続いて…
これもまた、ミッチのライブにおけるアニソンメドレーの一部でなく、フルコーラスで拝聴するのは初めだと思います。
他にも、影山ヒロノブさん、朝川ひろこさんも出演されました。
同時にネット配信もされた今回のライブ。
最後は全員揃って…
「ヤッターマンの歌」
を大合唱で締めくくられました。
この時期に遠出することは珍しいです。職場には黙っての上京でした。ここに来ることが出来て良かったです。
今回のライブ。ネット配信もされて、カメラ映像も残っています。これがDVD化されたらいいのに、と思います。
記憶を辿るのに、ネット公開による今回のライブのセトリを参考にしましたが、公演された歌はまだまだあります。すぐに拝借出来た画像で今回の記事にさせていただきました。
はてなブログの特徴なのでしょうか?新しいパソコンWin11は、これまでのWin10の時と勝手が違って、記事の作成に手間取っています。
2023年初春 上京物語 その1
※時間差で作成した記事です。
自分自身のコロナが明けて、ずっと前から予定していたことが実現出来ました。
今、東京に来ていて、ホテルでパソコンを借りて、記事を作っています。
ウチのパソコンはまだ、ネットに接続出来ないままでいますが、近日中に、新しいパソコンで更新出来る状態ではあります。
帰宅した後、接続出来たら、すぐに記事が更新出来るように、今ホテルにて、文章だけは出来るだけ考えておくことにした次第です。
※以下、ホテルで作成した記事を帰宅してからアレンジ、加筆しました。
広島に帰ってきてから一週間経ちました。ホテルで作成した文章とカメラ画像を整理して、本日、1月16日。ようやく新しいパソコンを起動することが出来ました。
コロナが明けた、とは言え、同じフロアの仲間、職員2名が陽性になってしまいました。
今年はコロナで、てんやわんやの状態から開始となっています。
ウチのフロアは、常勤職員よりも派遣やパート職員の方が多く、人材不足であっても時間外勤務のお願いの交渉がしにくい面があります。
辛いです。
本題に戻ります。
夜勤が明けた翌日、1月9日に上京したわけなのですが、十分に寝られず疲れが取れず、クタクタのまま、早朝(5時半)に家を出ました。とてもとても寒かったです。
手袋も持って行きました。
この、のぞみで出発です。
外は、段々白んできています。晴れそうです!
スマホの音量は消して、前の座席の背面にあるテーブルに載せているのですのが、振動してLINEのアイコンに赤い丸が点くのが分かります。
次月度のシフト表の確認と、明日のシフトの再確認。そして他のフロアでも陽性者が確認された、ということの3つの連絡と、それに対するグループLINEに登録されている他のメンバーの反応がチンチャン、チンチャン…(実際は振動です)
落ち着いてられません。
もし今夜、夜勤入り担当がコロナで来れなくなったら、ボクが段取りを考えなければなりません。
新幹線に乗ってしまった今、簡単に広島に帰りたくはない…
気が気でない状態の気まま、東日本へ入ります。
車窓は快晴でした!
今回の富士山。
真冬の富士山は久し振りです。
東京に到着したのが10時半過ぎ。JRへ乗り換えて池袋に向かいますが、コロナのせいでしょうか? 思ったより人は少ないです。
いつも行く椎名町へ向かいます。
少し早いけれど、昼御飯。
ここへ来るのがレギュラーとなってしまいました。
前回来たのは、昨年の11月27日でした。
ビーフシチューをいただきました。
お皿にスプーンを差し入れてから、カメラ撮影を思い出しました。
肉は柔らかく、デミグラスソースも濃厚で舌触りがとても良かったです。
トーストはバターがよく染みています。
かつての青春ドラマ「われら青春」に生徒役で出演されていた方が、ご主人と夫婦で経営されておられるのですが、ボクのことをしっかり覚えていて下さり、挨拶以外に、お話しもさせていただきました。
このドラマに生徒役で出演されていた方々は現在、教師役の中村雅俊さんの故郷・女川が東日本大震災で大きな被害に遭われたことを受けて、支援の手を差し延べてらっしゃいます。
お腹を満たし、時刻は午後12時半。次の目的地へ向かいます。
もう三回目の訪問となった“トキワ荘マンガミュージアム”です。
前回は昨年の11月27日。ついこの前ですが、何回も来たくなります。
事前にネットで予約していたので、優先的にスムーズに受け入れて下さいました。
基本無料ですが、特別展が開催されている場合、入館料は五百円。
記念に缶バッチを下さいます。
シークレット鋪装となっています。9種類あるそうです。
何が当たるか…
9種類全部揃えたいなぁ、と思います。
二階部分が、かつての若い漫画家たちが過ごしたアパートの再現となっていて、昔の共同アパートのように、靴を脱いで裸足(靴下)で階段を上がります。
記念にメダルを買いました。
休日なので、他にも来館客が目立ちました。
特別企画展として『藤子不二雄Aのまんが道展』が、一階部分であります。
今回も可能な領域だけカメラ撮影させていただきました。
少年キングに掲載されていた『まんが道』のナマ原稿や、トキワ荘で寝食共にした漫画家たち青春の近影です。
誰がどなたか、皆さん若く、とても興味深いです!
『まんが道』には、二次元、という制限された表現の中に、音や温度まで感じ取れるような独特な描写方法があり、その緻密な数々の筆致が紹介されていました。
沢山あるのですが、他の来館客たちも撮影されてました。彼らの隙間を縫うように短い時間の中でカメラを向けています。斜めから撮ったものもあるので、いびつな画像になってます。
しかし、改めて『まんが道』という作品を読んでみたくなりました。
期間は令和5年3月26日までです。
もう一回は、行けたらいいなぁ、と感じました。
では、次の目的地へと向かいますが、その前にホテルにチェックインです・・・
新しいパソコンに慣れるまで時間がかかるだけでなく、今までのパソコンのデータを移しながら、カスタマイズする時間が必要です。
夜勤が続き、家に居る時間が少ない時もありますが、次の記事は出来るだけ早く更新したいと思っています。
年末年始の出来事
今年初めてのネットカフェ利用です。
年末にモデムを交換。ルーターを買って接続を試みました。
エイサーの10.1型パソコンでは、有線LAN、Wi-Fiとも繋がったのですが、FMV15.6型PCは、業者に電話で相談して、言われた通りに接続の段取りをしても元には戻りませんでした。LANボートの故障でしょう、とのことでした。
ネット以外は開けるし、10.1型とは違いサクサク稼働するので、仕事の資料作りはFMVで。そのデータ(USBメモリ)をエイサーに接続して、職場の同僚に配信する作業を年末からずっと行っていました。
本来、土日盆暮れGW。世の中の流れに関係なく稼働している我が職場なのですが、実は、やられちゃいました。
年末12月28日。仕事に入る前、何かイヤぁな予感がしたので、職場の看護師による抗原検査を受けたところ、陽性反応が出ました。
熱はありません。喉に痛みがあるのと、咳が出始めたことで受けた検査でした。
すぐに帰らされました。
しかし、夜勤に入ろうとするボクの代わりが、すぐその場で見つかりはしません。
他の職員たちの所属するフロアそれぞれにも、陽性者続出の状態です。
今現在、職場に残っている職員たちに、それぞれ一~二時間程度の残業をしてもらい、家に帰ってから夜勤勤務者を選出する作業をし、保健所への登録作業も同時にしていきます。
いつ感染したのだろうか?と自問自答しますが、思い当たるところが全くありません。
不本意極まりないです。
保健所から折り返し連絡が入りました。(職場の)看護師による検査ではなく、正式に医療機関(病院)でPCR検査を受けて欲しい、とのことでした。
実は26日に職場全体でPCR検査を受けています。その時の結果は陰性でした。
この二日の間に感染した?
翌日、病院へ行き、PCR検査を受けました。結果が分かるのは更に翌日の夕方です。
体調はとても悪い感じではありません。咳が出るのと、喉が痛いだけです。いつもの風邪症状です。
日付け変わって30日。夕方、病院から連絡があり、やはり陽性の結果が出ました。
この頃になると、いつもとは違う、不安定で、乾いて連続した咳が出るようになりました。やたら唾が出るのですが、飲み込む時に痛みが走ります。
食べる気がしないので、自宅療養セットは申し込みませんでした。
お湯をそそぐだけの、カップのカレーライスのストックや、パンや餅の残りがいくつかあったので、年内はこれで済まされるだろうけど、年明けになる頃には、もう外出は出来なくなっているかも知れない、と踏んで、近くに住む妹家族にLINEして、栄養補助ゼリー4~5個と、喉の痛みや咳に対して多少なり緩和出来る、ニッケ飴を買ってきてポストに入れて置いて欲しい、と頼みました。
妹は、自分の家の買い物ついでに、要望通りのものが、31日にポストに入っていました。
食欲は全くなく、一食分にゼリー一個で大晦日の夜は越せました。
開けて元日の朝もゼリー一個。喉が痛いけれど、少しばかりお腹が空いた感じがするので、昼過ぎにお湯を注ぐだけのお汁粉に、餅を入れて食べるだけでした。
2日の朝方、激しい咳に寝床でのたうち回る状態になりました。
落ち着いて、眠れるようになったのが、午前8時頃。
その時、LINEがチンチャン・・・
その2日の夜に、夜勤に入るべく職員が陽性になった、ということでリーダーのボクのところに連絡が入ったのです。
正月に当番として事務所に出ている職員一人では回らず、寝床に入っているのに、シフト表の組み直しを要請してきました。
例によって、ネットに繋がらないパソコンで、咳き込みながらもエクセルを稼働。
その間にも他の職員も感染した、とか、明日からのシフトはどうなるのか? と同じフロアの職員からの連絡が容赦なく入って来ます。
朝から、何も食べず、急いでシフト表の調整をします。
出来上がったシフト表のデータを10.1型のパソコンで、同僚たちのLINEに流します。
全て終えたのが、もう夕方近くでした。
15時半過ぎに、その日初めての食事らしい食事でした。と言っても、お湯を注ぐだけのカレーライスでした。
陽性になっても買い物は出来る、ということで、重装備して19時前に近くのスーパーに行き、おせちの残りの値引きモノを買って食べました。
3日も咳き込みながら、今一度ネットの接続にチャレンジしてみますが、ダメでした。
4日は、咳も喉の痛みもだいぶ落ち着いたので、昼過ぎに墓参りと、初詣に出かたのですが、
人が少なくて落ち着いてました。
結局、パソコンは修理に出さず、思い切って買い換えることにしました。修理に出しても、マザーボードの取り換えとか
“HDDの中は消しますよ”
と、なると思ったし、正直、このPC。時々フリーズもするようになりました。この際、ウィンドウズ11に切り換えるいい機会だと思うことにしました。
最近のPCはデータの引っ越しが簡単に出来る、ということと、購入したPCのカスタマイズも、以前のように一日がかりも要することはなくなった、という説明も受けました。
長期的なことを考えると、今のパソコンよりも少しグレードアップしたものにすることにしました。
近日中(お年玉セール中)に近くの家電量販店に行こうと思っています。
明日から現場復帰しますが、不幸は重なるもので、自転車がパンクしました。
その自転車の修理を兼ねてのネットカフェに赴いた次第です。
明けましておめでとうございます
2023年が始まりました。
年末に業者が来てモデムを交換したのですが、パソコンのネットが回復したわけではありません。Wi-Fiに切り換えようと購入したルーターもまだ軌道に乗ってはいません。
ただ、外へ持ち出して使用出来るように購入した10.1インチのエイサーパソコンがネットに繋げられたので、それが唯一の希望。
しかし、これもまた綺麗に送信出来るわけじゃなく、今までの富士通15.6インチのパソコンで記事を作成して、それをコピー。そのデータをエイサーパソコンからスマホに画像を送信。それからこのサイトに送信しました。
わざわざネットカフェに足を運ぶことはなくなりました。
仕事がハードで、なかなか思うように更新出来ませんが、今年もよろしくお願い致します。
水木アニキ逝去
突然の訃報が飛び込んできました。
突然・・・と言っても、実は多少の覚悟はありました。
アニソンの帝王と言われたアニキこと、水木一郎さんが亡くなりました。
先月11月27日、東京のよみうり大手町ホールで行われた
『ふたりのアニソン♯19』
では、車椅子に乗っておられましたが、これまでとは違って、随分と痩せ、老けておられました。
“テレビまんが主題歌”から“アニソン”と、言うワードとして、世界に誇れる地位にまで、ジャパンアニメ(ジャパニメーション)の水準を引き上げた立役者のお一人だと思います。
いくつかのライブで、最後に出口でお立ちになり、観客をお見送りされる時に、一言二言の話と握手をさせていただいこともあります。
これからは、ナマのステージで、アニキの唄に合わせて手を振り上げたり、掛け声を挙げることが出来なくなりました。
小さい頃から、当たり前に耳に馴染んできた唄声です。自分の人生の一部になっている、と言っても過言ではありません。
これからは、新しい唄を聴くことも出来ません。
毎年、GWに行われる“ふたりのアニソン大阪公演”も無くなってしまいました。
長年の友人・知人、身内を亡くした時と同じ感覚に陥っています。
寂し過ぎて胸が締め付けられる思いです。
この喪失感・・・克服出来るのはいつなのでしょう?
CDや、主題歌が唄われたアニメや特撮作品のDVDやLDを引っ張り出して、じっくり撮影すればいいのですが、すぐには出来ません。
今現在、録画してHDDに残っている精一杯の画像を紹介させていただきます。
作曲の渡辺宙明先生も亡くなられました。アニキは、先生とのエピソードをライブで語っておられました。
12月2日に先生の追悼コンサートが行われたのですが、アニキは欠席されたそうです。
バビル二世
ライブでは迫力ある雄叫びが轟きます!
このドラマには、やはり今年亡くなられた小林清志さんが出演されてます。
ザ・カゲスター
空を飛ぶライダーです。スカイライダーの方です。
11月18日に放送の『Anson Days』にゲスト出演。
アニキからのツイッターは先月11月27日のライブの翌日。28日の投稿が最後でした。
13日の朝のワイドショーから・・・
テレビ画面を直接撮影したものです。画面に窓からの明かりが反射しています。
ワイドショーで紹介された画像の、この会場(よみうり大手町ホール)にいました。この一体感を共有出来たことは、一生の宝物になると思います。
各ワイドショーでの紹介は思ったより尺が長かったです。27日が最後のライブで、6日に亡くなられています。近親者のみで通夜・葬儀が行われ、正式に発表があったのが12日。スタジオでは、これまで一緒にガンと戦ってきた御家族の心情を思い図るコメンテーターの言葉に胸が詰まりました。
ここまでを、ネットカフェからの発信のつもりでしたが、データ保存が上手く出来てなくて、一日越えてしまいました。
しかし、スポーツ新聞を購入する時間の余裕が生まれました。改めて撮影しました。
サンスポ
スポニチ 見開きです。
デイリー
ニッカンでは一面トップでした。
我が家で購入している中國新聞。
佐藤蛾次郎さんも亡くなられました。
同じアニソン仲間の堀江美都子さん・ミッチからのコメントは目立ってません。あまりにも悲し過ぎるようです。
彼女が子どもの時、アニキは歌唱指導として接し、アニキが正式にアニソンデビューしてからは、仕事仲間として半世紀以上。兄妹のように、家族同様に過ごした、と言っても過言ではありません。
メディアには出て来ないけれど、彼女のツイッターやインスタグラムで唯一、悲しいその心境が語られています。
ボクも彼女への記事には“いいね”が精一杯で自分の心情を、上手くまとめる十分な言葉が見つからず、コメントを残すことが出来ません。
実は、アニキはミッチと共に、すぐ近所のホールに来られたことがあります。
タイミング悪くて記事には出来なかったのですが、画像は残っています。後日、思い出として語れる余裕が出来たら、改めて記事にさせていただきたいと思います。
後日、お別れの会があるようです。可能ならば参加したいです。
令和4年。最後になって辛いニュースで締めくくられることになってしまいました。
再びネットカフェにて
ネットカフェにて更新しています。
仕事の資料作りして、LINE送信出来るように、と、
クレジット決済している物件の登録し直し、と、
ネットから申し込まなければならない予約ものがあるのと、
今までの記事にコメントを下さった方への返コメの為です。
スマホで返コメしていたのですが、消えてしまったコメがありました。申し訳ないことをしてしまいました。
早く、自宅でネットが繋げれるようにしなくてはいけません。
もう一つ、どうしても発信したい記事があったのですが、持ち込んだデータが消えていました。
明日以降、再びここに来なければならなくなりました…