今年前半を振り返る
令和4年も半分が終わりました。
猛暑と豪雨に苦しむ日々の経過を考えると、もう半分、と観るか、まだ半分、と考えるかそれぞれです。
まだ半分の経過ですが、今年は本当に目まぐるしかったです。
年が変わっても、職員の数が増えない。その分夜勤が多くなります。
新しい職員が入っても、
あっ!
と言う間に辞めて行きます・・・
そんなにこの仕事、辛いか?
と思ってしまいます。
1月の夜勤をしていた夜中のある日。
一人の高齢女性がベッドから転落して、目の上の額から大出血しました。
足の筋力が衰えているのに、普段から車椅子から立ち上がろうとする方でした。
ベッドの下にはセンサーマットが敷いてありましたが、立ち上がろうとする瞬間に膝折れに頭から崩れたようです。
センサーが反応しても到底間に合いません。
すぐにNs(ナース・看護師)に連絡をして指示を仰ぎます。
血止めをして、バイタル(血圧や体温など)を計測します。
他の仕事が全く出来ませんでした。
看護師が到着して、救急車を呼んで、記録を書いて・・・
夜勤において、血だらけになっている高齢者に遭遇することは何度かありましたが、慣れてはいません。しばらくは気持ちが萎えてしまいます。
この職場では初めての経験でした。
2月になり、夜勤明けでクタクタになり帰宅する時、事故ってしまいました。
他の車に衝突です。明かに思考能力低下による不注意です。
例えば、雨の降る夜にバックしていて、運転席から死角になる左側のバンパーをぶつけたことは何度かありますが、正面からまともにぶつかるのはそうそうあるものではありません。
相手がいましたが、お互い怪我がなかったのが幸いでした。
保険で直るのですが、ついでに、先程の後ろのバンパーや、ウチの親父がつけたドアのキズも含め、全て修理してもらうことが出来ました。
しかしコロナ禍の為、部品の取り寄せなどで、3~4週間ほどかかりました。
保険会社が代車を用意してくれたのですが、これが運転中にパンク。
道路に落ちていた釘が刺さったようです。
代車とおさらばして、自分の車に乗るわけですが、運転が前より慎重になりました。
今は、車より自転車が主流になっていて、3月半ばに入れたガソリンがまだ半分以上残っています。
その自転車で移動中、これまたパンク。
修理に急な出費となりました。
3月になると、ある一人の職員の家族が陽性となり、その職員が自宅待機。
ただでさえ職員が少ないのに、忙しさに拍車がかかりました。
更に・・・
高齢者施設の在り方として、ロングステイ、ショートステイ、という概念があります。
一泊から数日のご利用・・・というショートステイの利用者が入って来られるのですが、その方が陽性であった為に、同じテーブルを囲む他の利用者に次々と感染。職員2名にも広がりました。
クラスターです。
ボクの所属するフロアは、他のフロアと隔離する為に、正面の入り口からの出入りを禁止し、非常階段を使って、ベランダ越しに直接フロアに入る・・・
陰性の職員は、陽性の利用者を相手にする時、マスクを二重。フェイスシールドにテレビの医療現場でよく観られる青い防護服を着て臨みます。
そして、このフロアの職員は毎日、抗原検査。
唾液を採取するPCR検査ではなく、鼻の穴の奥に綿棒を突っ込んでグリグリし、その綿棒に薬品を垂らして、変化を観る、という検査方法です。
他施設に勤める友人の所では、デイサービスを利用する方が、普段通っている病院で感染し、それを持ち込んだことにより、クラスターが発生した、とのことです。
我々職員が、どんなに神経をすり減らして感染予防していても、利用者によってコロナが持ち込まれるのはたまったもんじゃあありません。
ボクは、映画も広島市内への外出も我慢していのにガッカリでした。
相変わらず職員不足の中での労働ですが、少しずつ落ち着いてきて日中に映画を観に行く気持ちが生まれてきたのに、今度はスマホが故障。
保険に入っていたので、真新しい同製品と交換となりましたが、古いスマホから新しいスマホへのデータの移行やアプリの再登録に約一週間かりました。
今年、残り半分となりましたが、今度はどんな災厄が待っているのか不安な今日この頃です・・・
災厄の体験談を描いたこの記事は①となります。
②となる記事はまた近日中にアップさせていただきます。